第85回:山忠木材株式会社(大阪市大正区千島3丁目)(2011.7.5更新)

こんにちは!あなたの街の材木屋さん担当の桔平です。
大正区は、大阪でも有数の木材の街として知られています。大正中期から昭和初期にかけて千島新田と泉尾新田一帯に土地会社が運河・貯木場・水路の開削と道路・橋梁・宅地盛土などの開発工事を総合的に実施して市内中心部の材木業者を誘致した結果、最盛期の昭和7、8年頃には業者数約600戸に達する全国有数の木材街が出現し、その木材市場は業界の一大中心地となりました。尚、貯木場は、大正区の中心部に位置し約20万坪の広大な面積を占め、大正運河で木津川と尻無川に通じ、大阪港から木材を搬入していました。かつて、木材業が隆盛を誇っていた名残は今や薄れつつありますが、今では、小さな町工場が並ぶ、どこか懐かしい、人情味あふれる庶民的な街といった感じです。大正区は区民のおよそ4分の1が沖縄県出身者ということで、沖縄料理店が多いことでも有名ですが、それ以外にも手軽に立ち寄れて、しかも美味しいリーズナブルな飲食店が多く、食べ歩きをしても楽しそうなところです。

 今回の訪問先は大阪市大正区の山忠木材株式会社さんです。
それでは、早速、会社の歴史から順にお話しを進めていきます。
 応対して下さったのは、現代表者の山本忠さんと会長の山本明さんのお二方です。

写真1 写真2
     社屋外観(南側から)        社屋外観(西側から)

 山忠木材さんの創業は、大正12年、大阪府南部、富田林の山林から伐りだした材木を大阪市内で販売し始めたことがルーツです。創業当時の社名は山本新一商店で、創業者は山本忠次さんです。
 創業時から、現在と同じく、一般建築・土木に用いられる木材を販売するのが主な典型的な仲買さんでした。その後、太平洋戦争下の木材統制により、一旦廃業したのち、昭和23年に大正区千島町で木材業を再開されました。
 昭和26年には、現在の社名である、山忠木材株式会社へと改組され、それから程なく、木材販売のみならず新たに新建材の販売にも着手されました。
 昭和34年には、創業者である山本忠次さんの急逝とともに、現会長の山本明さんが2代目社長に就任されました。「26歳で急に会社の経営者になったことで色々な苦労や大変なことがあったが、振り返ってみると仕事も忙しく充実していた時だったと思います。また、組合の役員も若くから経験させてもらい、周りを見ていると私よりも経験豊かな経営者の方ばかりでよく勉強させてもらいました。」と山本会長。若き日の苦労と経験について、懐かしそうに話される姿から、大阪の木材業が隆盛を誇っていた時代が今に甦ってくるかのように感じます。
 昭和45年に、大阪市の区画整理事業により、大正区千島の現所在地へ移転することとなります。それ以前は、大手ゼネコンへの納材や町工場の棚板などの営繕関係の仕事が多かったのですが、昭和40年代に入って、文化住宅やアパート、建売住宅などの建設が急増し、売り先が大工・工務店へと変化していきました。

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        事務所内の様子

平成15年には、現社長の山本忠さんが3代目社長に就任されます。
 平成21年8月には、会社のホームページを開設しました。これは、現社長の発案で、リーマンショックの影響から景気悪化が予想される中で、その対応策の一つとして始められました。ホームページを通じて、直接仕事につながったケースは稀であるようですが、ホームページの内容が充実するに従って、アクセス数は確実に増えています。

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          山本忠社長

 それでは、現社長個人の話に移りましょう。
 現社長の山本忠さんは、昭和34年大阪市生まれの51歳です。大学卒業後、一旦、松下電工に勤務されるも、昭和62年に家業である山忠木材さんに入社されました。趣味は、ゴルフと読書です。特に、作家の藤沢周平、司馬遼太郎、遠藤周作の著作は社長さんの愛読書であるようです。ホームページにも「まじめな会社といわれたい」とあるように、創業以来、ゆっくりと真面目に地域でも信頼される材木屋さんとして知られてきました。
社長さんとの会話の中からも仕事に対して、誠実・堅実というお人柄を垣間見ることができます。
 山本社長に会社の今後の方向性についてお聞きすると、創業から地域の材木屋さんというスタイルは保持しつつも、これからは今、注目されている太陽光発電システムなどの住宅設備機器の販売や進みつつある超高齢社会に対応して、住宅の新築・リフォーム時に、福祉・介護用品の提案を積極的に行いたいとのことです。現在、介護用品の事業者登録に向けて申請中です。

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    木材加工の様子

その他にも、京都大学と社団法人大阪府木材連合会とが共同開発した、杉の3寸角の柱を活用した、耐震工法「壁柱」の推進のほか、「住まいの気がかり相談」事業の一環として、依頼があれば、一般の方に優良な工務店や設計事務所を紹介しています。また、日曜大工愛好家に向けて、木工用の材料の販売や木材加工も行っており、一般消費者の方からのお問い合わせやご要望ももちろん歓迎いたします。
 山忠木材さんについて、このページで語りつくせない情報もたくさんありますので、詳しくは、山忠木材さんのホームページをご覧下さい。


社長さん、会長さん、長時間の取材に応じていただき有難うございました。

山忠木材株式会社
〒551-0003
大阪市大正区千島3-18-9
TEL 06-6552-0781
FAX 06-6552-0784
会社の詳しい情報はこちら    →HPはこちら

皆さんこんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。
 今回は大阪の南港―平林地区―にある材木屋さんの取材にやってきました。
南港地区にはニュートラムという大阪市交通局のコンピューターで自動運転する乗り物が走っています。最近でこそ珍しくもありませんが、1981年の開業当時は、神戸市のポートライナーに次いで、日本で2番目の無人運転の乗り物として話題にもなったんですが…。
住之江公園駅からニュートラムに乗ってしばらくすると、目の前に巨大な倉庫群が広がってきました。木材業関連の倉庫も結構あります。そうです、平林という土地は、大阪の、いや、かつては日本有数の材木の街…でした。

 大阪の材木商の歴史から触れますと、江戸時代、大阪城築城時に日本各地から大阪に多くの材木商が集まってきたことにさかのぼりますが、築城が終わると材木商は海に近い今の大正区あたりに移転させられていきました。昭和20年代に入ると、大阪市の再開発事業により、大正区から平林へと多くの材木屋さんが移転し、今日の平林地区を形成していきました。平林は大阪のウォーターフロントとして輸入木材全盛の昭和40年代には、西日本一の木材団地として一世を風靡しました。かつては関西地区の材木集積地として名を馳せていた平林も、近年では、都市化に伴い貯木場などは縮小され、かつての「材木の街」の面影は薄れつつあります。
 ここで、皆さんに木材に関する質問です。
なぜ、材木屋さんは貯木場を作って材木を水に浮かべて保存していたのでしょうか?
その答えは、木材は乾燥に弱く、曲がったり割れたりするのを抑えるためです。割れたり曲がったりする現象を「暴れる」と業界では呼びます。

 前置きはそれぐらいにして早速、会社の歴史と社長さんが木材業に携わるに至った経緯を絡めてお話しを進めていきます。
 応対して下さったのは、取締役社長の山川衛さんです。

 写真1  写真2
                   倉庫外観                  倉庫内事務所

 
 山川衛社長は、鳥取県のご出身です。家業が木材業ではなく、元々材木店の仕事を希望したわけでもなかったそうですが、高校卒業後の昭和31年就職のため大阪にやってきて、当時の阿倍野の職業安定所で材木店を就職先として紹介されたのが始まりです。山川社長はその材木店で3年間修行されるわけですが、その修行の間に当時市場のセリで偶然に一緒になった先代と意気投合して、昭和34年に大白木材さんに入社することとなりました。
 「当時の私のような若い従業員が木材業界のお歴々と並んで商品をセリ落とすのは至難の業であった。あの人がきたらもうその商品はあきらめようとさえ思ったものですよ。」と山川社長。ご自身も市場で木材業のいろはを学び、鍛えられてきたと語るとおり、商品をセリ落とすためにその方法を工夫、また、いかに問屋の人と仲良くなって取引の上で有利にしてもらえるか、色々と思案されたようです。その当時に苦労した経験、そして、当時からの人間関係が現在の商売にも生きていることを強調されます。

ところで、大白木材さんは、元々は、大工・工務店に対して、建築材料としての木材を販売する典型的な屋型屋さん(仲買業者)であったようです。

写真3
      主力商品のスプルース

同じ、平林の関西木材市場の近くに移転したことをきっかけに商いの形態を変え、工務店や建築業者から材木店相手の商売へと転換していきました。取扱い製品も主に外国産の木材がメインとなります。スプルース(注1)の別挽など木材加工へとその形態を変え、ここからほぼ現在の商いに近いものとなります。「内装・造作に使うスプルースは当時はどこも取扱いが少なく、競合がなかった。」と山川社長。
(注1)スプルース…マツ科トウヒ属の常緑針葉樹の総称。北半球の亜寒帯に広く分布する。材を建築材やパルプに用いる

写真4
       木材加工機械

そんな中、昭和49年に株式会社へ組織変更し、現在の社名となります。大型の加工機械を続々と導入し、木材加工を人的な作業から機械化へと転換させていきます。「商品の仕入れのためなら、日本全国はもとより場合によっては海外に直接買い付けにいくこともあります。もちろん半分趣味的なものもありますが…」と笑って語る山川社長。材木屋さんにとって仕入れる商品を見極める目ききが大変重要です。遠くへいってもその目に適うものがないこともあるといいます。地球の遥か彼方ブラジルから数か月かけて商品を大量に輸入されることもあるようで、そのスケールの大きさを感じます。

写真5
          山川社長
  ここで、山川社長個人のお話に移ります。
  山川衛社長は、昭和12年鳥取県生まれ
 の73歳です。昭和31年に高校卒業後、上
 阪され材木店で修業の後、大白木材さんに
 入社されました。代表就任は昭和56年のこ
 とです。趣味は業界関係者とのゴルフやお
 酒だそうです。とても人当りがよく、お話好き 
 な印象である方です。
           

「材木屋さんの商売は工夫が必要。プレカット加工に従来の流通形態が壊されてきている。誰でもできるような仕事をしているようでは生き残れない。材木屋さんにしかできない仕事を考えていかないといけない。少しでも、小さいものでも日々の仕事に工夫を加えることが必要だと思います。」と木材を商いとするものとしての考えを語る山川社長。

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スポーツクラブのサウナに用いるマルパー材
 

 最後に会社のPRです。
「スプルース」と「ピーラー」多少に拘わらず別挽致します。長尺・幅広(1.3mまで)材加工致します。(サンダー仕上)。神社仏閣等の丸柱からクリ棒まで加工致します。商品の品質、納期には自信があります。
 木材、加工に関するご相談なら何でもご用命ください。

 
 

山川社長、ご協力いただき誠にありがとうございました。

株式会社大白木材
〒559-0025
大阪市住之江区平林南2-12-9
TEL 06-6685-2828
FAX 06-6685-2829
会社の詳しい情報はこちら   HPこちら  
   

 皆さんこんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。

 今回は吹田市にやってきました。
 新御堂を北に走り、桃山台のニュータウンを抜けていくと程なく、今回の取材先である岡本銘木店さんの本社に到着しました。
こちらの会社は近畿圏に20もの支店、工場を構える大規模な材木屋さんです。一体どういうお話しになるのでしょうか。

岡本銘木店 01
          社屋外観 
まずは会社の歴史から順にお話しを進めていきます。
応対して下さったのは、代表取締役社長の佐藤原二さんです。 
岡本銘木店 02
                事務所

 その社名のとおり、岡本銘木店さんは現会長の岡本弘さんにより昭和26年大阪横堀の銘木屋さんとして創業されました。今も会社の原点として、主に住宅の和室に用いられる、和室造作材や高級木材として美術欄間などの販売をされています。
 それから、昭和34年に株式会社に改組、現在の社名となります。

岡本銘木店 03
      京都SE構法加工工場

昭和30年代半ばから昭和60年代前半にかけては、高度経済成長期とも重なり、創業以降順調に業績を伸ばし、近畿各地に支店を開設していくこととなります。
 その頃、会社は、大阪から兵庫、奈良、京都、滋賀まで販売エリアを拡大していきましたが、それと同時に営業品目も銘木に特化した販売形態から住宅産業全般に及び、エンジニアードウッド・プレカット加工などの新しい技術を採用し、住まいづくり全体を通した提案にまで及ぶようになりました。
 昭和63年には兵庫県三田市に、平成12年には京都にプレカット工場を開設し、伝統工法と最先端のテクノロジーを調和させながら、コンピューターを用いた全自動軸組構造計算システムを完成させました。高い加工技術で高品質の製品を生産し、木材業界においても高い評価を受けています。

ここで社長さんの紹介です。現社長の佐藤原二さんは、昭和31年大阪府生まれです。府立天王寺高校在学中は、サッカー元日本代表監督の岡田武史氏とも同級生であり、ともにサッカー部で汗を流し、現在でも時折、親交を温めているそうです。
 昭和55年、神戸大学を卒業後、岡本銘木店に入社されました。
 代表就任は、平成13年と今から10年ほど前のことです。

横堀の銘木屋さんをルーツとする岡本銘木店さんですが、今日では美術欄間や各種銘木といった創業当時からの事業はもちろんのこと、一般木材及び木質系内装建材、システムキッチン・システムバスなどの住宅設備機器、そしてプレカット加工や住宅瑕疵担保保険の取次ぎなどに至るまで、住宅に関するありとあらゆる事業を展開されています。
 一方で、会社の原点である銘木の需要は急速に減退していく状況にあるなど、その事業も過渡期あると言わざるをえません。
 新たに、住宅エコポイントの申請取次ぎの窓口を各支店に設け、一般消費者の要望に対応できる体制を整えるなど、時代のニーズに的確に応えながら進化し、常に一歩先の満足を追及し向上を続けています。

岡本銘木店 04
    抗酸化陶板浴オカメイ店舗

そして佐藤社長が、今最も注力されているのが、
抗酸化陶板浴です。これは知り合いの茨城県
の材木屋さんから教えられた、「抗酸化工法」
の発展形です。リバース工法と呼んでいます
が、微生物の働きを応用した工法で、この液
を住宅の下地に塗ると、部屋の中の活性酸
素が少なくなり、酸化が抑制されます。   

岡本銘木店 05
         陶板浴体感中
     

この空間で生活すると健康になる、というものですが、陶板浴では、短時間にこの効果を得ることができます。茨城県の施設では、多くのガン患者がここへ通われています。
 私も実際に陶板浴を体験してみました。スーパー銭湯のサウナなどは、乾式が多く、高温で乾燥しているため、喉を通る空気が暑く感じられたり、また血圧もグッと上がる感じがして長時間の入浴が難しいものです。
しかし、こちらの陶板浴は暑いというよりは、ほんのり暖かいという印象です。床のタイルの上にバスタオルを敷いて、その上に寝転がります。そして目を閉じて、瞑想というか何も考えない、そういうリラックス感がポイントですね。しばらく横になっていると、何とも言えない心地よさが湧いてきます。
 「弊社の従業員が脊髄空洞症という難病を患い、医師からも治療法がないといわれ困っておりました。そこで、仕事をしながら、毎日陶板浴に入るようアドバイスしたところ、不思議なことにその病気が急速に改善されていきました。そんな奇跡が起こるのか?と私も半信半疑だったのですが、これを機会に陶板浴の素晴らしさを再認識し、工務店さんなどのお得意先に体感してもらっています。」と陶板浴の事業について手応えを感じている様子の佐藤社長。
 この陶板浴は、吹田の本社の向かいと兵庫県東条に2ヵ所の店舗を構えています。
 尚、体感いただくにあたっては完全予約制となっておりますので、事前に「抗酸化陶板浴 オカメイ」電話 06―6338-9131までご連絡願います。

  最後に、岡本銘木店さんは、一般の方も歓迎いたします。住宅エコポイントの申請窓口として、また抗酸化陶板浴オカメイにも、是非おこし下さい。
 健康で快適な住空間づくりのお手伝いをさせていただきます。


  佐藤社長、長時間の取材へのご協力、誠に有難うございました。
  

株式会社岡本銘木店
〒564-0001
吹田市岸部北5-32-1
TEL 06-6388-3411
FAX 06-6387-9717
会社の詳しい情報はこちら    →HPはこちら
 
 

 

2月24日㈭、大阪市立磯路小学校の体育館並びに図書室で出前授業を開催しました。
 第5支部/大和木材㈱大和宏充社長が同校の卒業生であり、図書室に杉のフローリング材を施工したことがきっかけで、開催させていただくことになりました。
 当日は、大和木材㈱から、大和社長と森口部長をはじめ、当組合からは出前授業を所管する、開発研究委員会から谷委員長と前重理事、また、第38支部/㈾戸田材木店・戸田昌志氏、日本オスモ㈱より山崎正夫氏と多くの方にお越しいただき、事務局職員とともに当日ご協力いただきました。

 

       杉の特性について説明する
        大和木材㈱大和宏充社長

参加してくれたのは、4年生の2クラス48名の子供たちです。
 大和社長から、わかりやすく、親しみのある語り口調で、釘の打ち方や作業手順の説明があった後、いよいよ椅子作りが始まりました。
釘と金槌で簡単に組立できるように事前に加工された杉の部材を用意し、子供たちは4人で1班を組み、講師の指導の下、順番に釘を打ち付けていきました。
子供によっては、慣れた手つきで作業する子と初めてという子と様々でしたが、作業が早くできた子は他の子の作業を手伝ってあげるなど、とても楽しく、微笑ましい様子でした。
 椅子が完成すると、自分で作った椅子に対する充実感から、体育館のあちこちで子供たちの歓声が聞こえました。
 続いて、場所を図書室に移し、椅子作りの感想と木について子供たちとの対話を通じての授業です。
 大和社長から、子供たちに椅子作りの感想と杉の特性について質問があり、子供たちから率直な感想や意見が寄せられました。
 また、大和社長から①空気浄化、②湿度調整、③断熱効果、④目に優しいといった杉の特性の紹介があり、杉材を用いることが本を読むなど集中力を要する図書室に最適であるとの説明がありました。
 子供たちは杉や桧といった樹種の名前はほとんど全員が知っていましたが、それは入浴剤や花粉という言葉からということを知り、驚きとともに、未来を担う子供たちに木材の良さをさらに正しく理解してもらい、身近な材料である木材の温かさや柔らかみを伝えることができ、非常に有意義な時間を過ごせました。
 今後も機会があれば、次代を担う子供たちを通じて一般の方に対して木の良さをアピールし、長期的視点に立った木材需要の促進に役立てていければと思います。
                                                      (2011.3.11更新)     

皆さんこんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。

今回は大阪市南部、阿倍野区の材木屋さんです。
私自身、大阪でもこのあたりはほとんど訪れたことがなかったこともあり、足を踏み入れるのもはじめてなくらいでしょうか。
ここ阿倍野区は、上町台地の南の高台に位置し、古くから大阪南部の交通の要衝として栄え、名所・史跡も多く、住宅・商業の町として発展してきたようです。とりわけ阿倍野橋・天王寺は、大阪の南の玄関口として各種の交通機関が終結し、1日平均82万人の乗降客が行き交う大ターミナルです。大阪府内ではキタの「梅田」・ミナミの「心斎橋・難波」に次ぐ、大阪の第三のターミナル・繁華街としての機能を持つ天王寺駅界隈にも程近いにもかかわらず、阪堺電車・松虫駅を下車して取材先へと向かう道中は、何か落ち着いた住宅地といった雰囲気を感じます。
区内中西部から南西部にかけての晴明通・橋本町・相生通・北畠・帝塚山は大阪市内の住宅地で唯一の風致地区である聖天山風致地区に位置しており、とりわけ南西部の北畠・帝塚山地域は閑静な高級住宅地として知られています。
一方、阿倍野区は高齢化率で市内でも高位で、いきいきとした長寿社会の実現と、快適な生活環境をめざして、都市基盤の整備などが進められています。

またまた、前置きが長くなりました。今回の訪問先は大阪市阿倍野区の大長木材株式会社さんです。
まずは、会社の歴史から順にお話しを進めていきます。
応対して下さったのは、現代表者の松峯哲也さんと会長の松峯宏さん、取締役部長の松峯克爾さんの3名の皆さんです。

社屋外観 事務所

 
 大長木材センター

いきなりですが、大長木材さんのルーツは大工さんです!
というのも、大長木材さんの社名の由来が、当時大工をされていた松峯長四郎さん(現会長の父)が、「大工の長四郎」という名前から、「大長」という称号にされたのが始まりだそうです。
昭和2年に、長四郎さんにより大長工務店として、阿倍野区元町で創業されたのが、同社のルーツです。昭和16年に木材統制法が施行され、木材の生産と配給が国策会社により管理されることとなったため、全国の木材業者は自由な営業が困難になり、一旦廃業した後、昭和22年に大長木材店として再スタートすることとなります。(阿倍野区桃ヶ池町にて)
昭和26年に法人化、現在の社名である大長木材㈱へ改組され、その後間もなく、昭和31年に現会長の松峯宏さんが、代表に就任されます。
そして、昭和44年には、新たに東住吉区喜連町(現在の平野区喜連)に、大長木材センターが開設されました。大阪随一の木材センターとして、「大量に何でも揃う!」を謳い文句に、大工さんの作業場スペースも多く確保されているなど、大工・工務店向けの一般建築用材を中心に盛況を誇っていました。「当時は本当に木材がよく売れていた反面、こげつきも多かった」と松峯会長。何とそこからまた新たなビジネスへと発展することを誰が予想したでしょうか。
先述の通り、売り先であった工務店には回収不能の債権などこげつきも多かったといわれます。それをきっかけに、過去に大工・工務店として営業していたカタチに戻る様に、昭和48年に同社の関連会社として大長ハウス㈱の設立に至ります。当時は主に、大阪市内、松原市を中心に建売からスタート。平成に入ってからは、新築の注文住宅やリフォームの住宅建築に特化し、木材を生かした新たな事業へと参入することとなりました。

打ち合わせをする松峯社長(右側)

ここで社長さんの紹介です。現社長の松峯哲也さんは、昭和38年に阿倍野区で生まれました。関西大学を卒業後、住宅メーカーにて勤務。アパート、マンションの設計・施工の仕事に携わり、約4年後の平成元年に家業に入られました。その後、現会長の病気もあって、平成17年9月に代表に就任されました。元々、住宅メーカーの設計マンで活躍されていたこともあり、もの静かな趣味・嗜好をお持ちかと思いましたが、趣味は、サーフィンやマラソンと活動的な方です。

     新築物件の一例

松峯社長は、1級建築士の免許をお持ちで、木材とともに建築関係の知識も大変豊富な方です。お話ししていても、笑顔を絶やさず穏やかな語り口調でありながらも、その視点はとても鋭く、特に日本の住宅関連のことについては、時に一人の論説家であるようにも感じます。
 「日本の住宅は数的には充足している。今後、新築の流通量が減っていくのは当然のことだと思う。木材流通を新築だけに依存するのは、将来益々難しくなっていくと感じている。そこで、安易にリフォームに参入するべきだと言われてもいるが、参入しやすい分、色んな業者との勝負になるので、厳しい競争を勝ち抜く覚悟が必要です。」と言葉を選びながら語る、松峯社長。
 ご自身もすでに、地元阿倍野区を中心に新築、リフォームの事業を手がけている経験から、その厳しさを肌身をもって痛感されてのご意見なのでしょう。

最後に、大長木材さんは、一般の方も歓迎いたします。木材を扱う専門家として、新築・リフォームにおいても、木を使うことにこだわりがあります。ムクの床、柱を見せる、木材本来のデザイン性や美しさを感じていただきたいと思います。

お三方、長時間の取材へのご協力、誠に有難うございました。

                      

大長木材株式会社
〒545-0023
大阪市阿倍野区王子町2-3-6
TEL 06-6628-0171
FAX 06-6629-2630
会社の詳しい情報はこちら    →HPはこちら

                         

                       

  特定非営利法人 活木活木(いきいき)森ネットワーク主宰による、木材のよさやその利用の意義を学ぶ「木育」という教育活動があります。

  市民や児童に木材に対する親しみや木の文化への理解を深める目的で、木づかい運動の一環として、その普及・促進が進んでいます。

多くのこどもたちに木の楽しさや正しい知識を伝える「木育インストラクター」という制度もあります。

ご関心をお持ちの方は下記URLにアクセスしてください。

     http://www.mokuiku.jp/                                   (2011.2.22更新)

いつもご愛読ありがとうございます!あなたの街の材木屋さんの桔平です。
 さて、私が取材を始めて10件の材木屋さんを訪問しているのですが、一口に材木屋さんといっても色々な商売の形態があることを感じます。一番多いのは、大工・工務店・建築業者へ住宅の資材として木材を供給する形態ですが、その他には銘木などの特殊な木材を扱うお店や木材の加工に特化した材木屋さんもありました。
今回の取材先は、木材加工や特殊な木材を取扱う業界でも数少ない材木屋さんといえるでしょう。場所は大阪市港区で、弁天町駅から徒歩で約10分程度のところにあります。港区といえば、かつては淀川の河口に発達した低湿地帯でしたが、江戸時代の末期から新田開発のために埋め立てられ、1903年に築港大桟橋の完成と市電の開業により大阪の海の玄関として大きく発展した地域です。

社屋外観 事務所
社屋外観 事務所

またまた、前置きが長くなりました。今回の訪問先は大阪市港区の株式会社シモヤマさんです。
まずは、会社の歴史から順にお話しを進めていきます。
応対して下さったのは、現代表者の下山豊弘さんです。

クーラーの枠材
クーラーの枠材

シモヤマさんの創業は大正5年、場所は現在と同じところだといわれています。創業者は、下山豊司さんです。元々は豊司さんが、父豊吉さんの下、福井県で材木業に携わっていたところ、大阪に出店したのが始まりです。
創業時は、堅木(国内の広葉樹、カシ・サクラ・ケヤキ)の製材が中心で、造船所や機械を扱う工場の資材としての材料を供給していき、その後、法人化されます。(株式会社下山豊司商店・代表者下山豊司さん)
 会社が大きく発展する契機となったのは、建築の基礎工事に用いられるクッション材として、カシの材の需要が大きかったことにあります。当時は昭和30年~40年代で日本は高度経済成長期、折りしも大阪では、万博や御堂筋の整備が行われ、その工事にカシ材がたくさん用いられていたようです。
 木材といえば、通常、戸建の木造住宅や家具に多く利用されているイメージがあるので、こういう用途もあるのかと意外に思いました。
 その後の昭和46年に現会長の豊治さんが代表に就任されます。

宮崎日南工場
 

 ところで、シモヤマさんにはこちら大阪の本社と宮崎県・日南の工場があります。平成7年頃から工場の機能を徐々に宮崎に移転していったようですが、その経緯についてお伺いすると、当時、大阪で製材や塗装といった木材の加工をメインにやっていたそうですが、音や騒音、ニオイといったことに対する周辺住民への配慮もあり、他に加工できる場所を探していたようです。時を同じくして、四国、九州へ丸太を仕入れにいった際、地元の材木屋さんと縁ができて、元々は宮崎の製材工場であったところを購入され、現在の主な加工場所となっているようです。現在でも大阪で加工も行いますが、むしろ、宮崎で造ったものを関東、名古屋、北陸へ輸送するための中継基地としての機能が主となっているそうです。
 平成12年に現在の社名の株式会社シモヤマに社名変更されます。
 この頃から、業態が転換していき、運送業に用いられる木材や空調機器、また事務所、工場、店舗などで用いられる床置きのクーラーの枠に用いられる木材が取扱商品の主流となります。
 また、平成15年頃からは何と材木屋さんでも珍しい、介護用品の製造・販売業を始められました。具体的には、玄関の踏み台、スロープ、手すり等です。

下山豊弘社長
下山豊弘社長

ここで社長さんの紹介です。現社長の下山豊弘さんは、昭和43年に港区で生まれました。地元の港高校を経て、桃山学院大学を卒業後、平成2年に家業に入られました。代表就任は平成22年6月と、ごく最近のことです。趣味は、ゴルフ、野球、水泳といったスポーツマンである一方で、読書家の一面もあるようです。座右の銘は「智仁勇」、これは武道の精神に由来する言葉で、何が正しいかを識る意の「智」、相手を理解する、相手の立場になってものが考えられる慈愛の心を「仁」、そして勇気をふるって打ち込む「勇」、という意味が込められています。

介護用品の一例
介護用品の一例

前述のとおり、現在のシモヤマさんの主力商品は介護用品となっていますが、下山社長は「最近は、関東、とくに東京から取引きが増えている。注文の単位は大阪の数倍ですね。展示会を通じて、今後もマーケットを東へ広げていきたい。」と今後の方向性について語って下さいました。また、普段心がけていることについては、品質の安定、常に同じレベルの商品をお客さんに提供することです。「安定した品質の商品を提供すれば、お客さんからクレームも出てこないだろうし、いい商品を提供すればわざわざ営業をかけなくても、信頼されて注文が来る。つまり、商品が営業してくれるということです。」と品質の安定化にこだわる下山社長。「担当者が変わることで、商品のレベルが下がることはお客さんには通用しない。それはあくまで社内での話だ。」と経営者として厳しい一面を見せつつも、「従業員が自由に意見を出し、アイデアをとりいれ、仕事を任せられるような環境にしたい。そうすれば、仕事を楽しく感じてくれるはず。」と周囲への配慮も欠かしません。
 社内の雰囲気も風通しがよいようですね。

 下山社長、長時間有難うございました。

株式会社シモヤマ〒552-0002
大阪市港区市岡元町1-2-13
TEL 06-6581-4861
FAX 06-6581-4040   →会社の詳しい情報はこちら  HPはこちら

こんにちは、あなたの街の材木屋さん、担当の桔平です。
さて、今回の取材先は、組合事務所から徒歩で10分とかからない、ご近所の材木屋さんです。現在では南堀江や幸町という地域は、まだまだ多くの材木屋さんがお店を構えてはいるものの、多くの高層のビルが林立し、ブティックやレストランなどお洒落な店舗が目立ち、材木屋さんで賑わっていた過去の様子も徐々に薄れつつあるように感じられてきました。
この地域の中心である道頓堀川は今も満々と水をたたえていますが、かつてのように筏が活発に往来し、浮かんでいる材木を引き上げることもなく、川面には高層ビルの影ばかりが映っているという状況です。
このように、木材業界のメッカともいえたこの南堀江は、その多くが高層住宅群と様変わりし、木材の香り漂う伝統の根を下ろしたこの街にも、確実に新しい風は吹いているといわざるを得ません。
このような周囲の大きな変化の中で、昔と変わらず逞しく材木業に携わる、歴史ある材木屋さんが今回の訪問先です。どんなお話しになるのでしょうか?

社屋外観 事務所
社屋外観 事務所

 

今回の訪問先は大阪市西区の汐見木材さんです。
こちらの会社の創業は伊勢お陰参りが流行したり、老中水野忠邦が政治改革を行った、天保年間(1830~44年頃)だそうで、歴史の永さではこれほどの会社は過去の取材先でも記憶にありません。まずは会社の歩みからお聞きすることとします。インタビューに応じて下さったのは現代表者の森下能成(よしまさ)社長です

フローリング在庫
フローリング製品

汐見木材さんの歴史は長く、「大阪木材業外史」(大阪木材業組合、㈱林業新聞社 共編)という江戸時代からの大阪における木材業の歴史を語る書物の中にも創業者である森下兵助氏の名前が「新興市場問屋」として知られている、と記述されており、戦前より汐見木材の商号で大阪道頓堀川の汐見橋の畔で製材業ならびに市売問屋を営んでおられたそうです。
その後、昭和22年に製材業・市売業を統合し、汐見木材株式会社を設立、法人へと改組されました。当時は仲買業者に対して、製材・市売・付売・加工業者としての販売が主な業態で、その頃より新たに、内地材ヒノキの縁甲材(フローリング)と日本で初めてアピトンフローリング(注1)・ラワンピーリング(注2)の製造卸を始めるなど、日本の材木屋さんでも先駆けの存在ではなかったかと察します。
(注1) アピトン…熱帯広葉樹。土足で歩く事務所やトラックの荷台に使われる。高い耐久性で、湿気に強く腐りにくい樹種。
(注2) ピーリング(材)…素材をピーリングマシーンで皮を剥いた材料。
昭和50年には、会社の市売問屋部門が分社、独立し、製材、フローリング製造部門・製品販売を主に会社が再スタートしていくこととなります。
その間、代表者は、森下金次郎氏から河野正富氏へ継承され、昭和62年には現代表の実母の森下栄子氏が社長に就任することとなります。
その後、平成19年1月に現代表者の森下能成氏が社長に就任することとなります。
それでは、ここからは社長さん個人についてのお話しをお伺いしましょう。

森下社長
森下能成社長

森下能成さんは昭和41年に大阪市福島区に生まれた後、西宮市で育ちました。大阪学院高校から同大学商学部に進まれ、卒業と同時に大阪にある大手建材問屋に入社、平成4年から家業である汐見木材さんに戻られました。
趣味は高校、大学時代にされていたテニスとスキーというスポーツマンです。
ただし、「最近は忙しくてほとんどできていませんが…」と口元をほころばせます。一方、仕事で忙しくされている中でも、2男1女のお父さんとして、子育てに奮闘されている子煩悩な一面もある方なのです。
また、平成4年から入会されている、大阪木材業界の若手経営者の会「大阪木材青年経営者協議会」では、木材業界発展のため様々な活動に参画され、平成22年度会長としてリーダーシップを発揮されるなど、業界の若手経営者の中でも群を抜く活躍をされています。
名刺には、汐見木材さんの経営理念  思・緒・美 ― そして創。と記されています。その意味は、「美しい思いを伝える、そして新しいものを創る。」とのことだそうです。思・緒・美と汐見を掛けた、素敵な言葉ですね。森下社長の会話の中の色々な話から、常に木のこと、自社のこと・商売のことを思い続けていることを感じます。

美しい光沢の無垢ヒノキフローリング

現在、汐見木材さんの主力商品は、国産の桧・杉・赤松の無垢フローリング、無垢羽目板などです。「一般消費者のムクへの関心度は高いが、できるだけお金をかけたくないという理由で離れつつある。中には高級志向の方も一部で見受けられるが、需要層は限られている。健康というキーワードからより多くの消費者に注目していただくために、ムクの良さを訴えかけていきたい。」と森下社長。

人に優しい「暖テック床暖」

汐見木材さんは、戦後間もない頃より、縁甲板といわれるフローリングを製造し始めた、製造販売会社として、自社製品はもとより仕入商品であっても「品質の安定と供給の安定」を第一に考えておられます。それを念頭に消費者に対して、無垢素材である床壁材を60年近く作り続けてきた経験を生かし、信頼のおける製品を自信を持って販売する真面目な材木屋さんです。
もちろん、木材の専門家という立場から、木材の利活用の仕方をはじめとする様々なご要望にお応えしてもらえますので、どうぞお気軽にご相談下さい。

森下社長、長時間ありがとうございました。

汐見木材株式会社〒550-0015
大阪市西区南堀江3-16-14
TEL  06-6531-3683
FAX 06-6531-3519    会社の詳しい情報はこちら HPはこちら

いつもご愛読有り難うございます!あなたの街の材木屋さん、担当の桔平です。
今回は大阪府南河内の羽曳野市にやってきました。大阪市内から電車で抜けていくと徐々にビルの姿もまばらになり、近鉄古市駅に近くなると辺りは畑や民家が広がるどこかのんびりした風景です。
羽曳野市の地図を見ていると特に目立つのは「古墳」の数の多さです。羽曳野市近辺に人が住み始めたのは、今から約2万年前の旧石器時代末頃といわれ、弥生時代には農業を基本とした集落が数多く形成され、古墳時代には全国でも最大の古墳群である「古市古墳群」が造営されるなど、大いに発展しました。
そんな歴史のロマンが現在でも色濃く残る、羽曳野市にある材木屋さんが今回の訪問先です。どんなお話しになるのでしょうか?

≪写真1 社屋外観≫
≪社屋外観≫
今回の訪問先は羽曳野市西浦の有限会社田中製材所さんです。創業から110年を超えるとても歴史のある材木屋さんなんです。まずは会社の歩みからお聞きすることとします。インタビューに応じて下さったのは現代表者の田中勝社長です。

田中製材所さんの創業は古く、1897年、何と明治30年に遡ります。創業者は現代表の勝社長の祖父にあたる田中奈良吉さんです。当時は社名の通り、元々は山から原木を伐り出し、その丸太の製材、加工を生業としておられました。会社は大阪狭山から富田林と南河内地方を移転、昭和の初め、羽曳野市古市の現在の所在地から数百メートル離れたところで営業することとなりました。
その後、二代目の田中由太郎さんが社長に就任(昭和12年)、その頃は製材から大工や建築業者に木材を販売する仲買さんの商いが主流となっていきました。その後、会社は個人商店から現社名の有限会社田中製材所と法人に組織変更しました。その当時、材木は本当によく売れていたそうです。
昭和40年代は木材業界が全盛、材木屋さんの営業スタイルはいわゆる「だんな商売」といわれる待ちの営業がほとんど。「倉庫にあるものは、本当に何から何までよく売れていた」と勝社長。お客さんが材木屋さんに木材を求めて買いに走る、当時はその旺盛な木材需要に供給が追いつかないような時代だったのではと想像してしまいます。
≪写真2 材料を配達する田中社長≫ 
≪材料を配達する田中社長≫

≪写真3 倉庫内に積まれた材料≫
≪倉庫内に積まれた材料≫

また、田中製材所さんは、当時から羽曳野市の学校や大阪府の高校に納材することも多く、官公庁関係とも繋がりがあり、そのこともあってか仕事量も比較的安定していたようです。
ところが、昭和50年代中頃から、販売環境が徐々に悪化。建材業者の積極営業の影響もあってか、自社と競合する機会も増え、売上が減少したそうです。また、プレカット業者も台頭し始め、高級な木材が売れにくくなり、利益率が低下していくようになりました。「工務店が店に来て、材木を買って持って帰っていった頃と違い、今では配達して高い場所まで運ばなければ買ってくれなくなってきている。工務店と材木屋さんの立場が逆転している」とその状況の変化について語る、勝社長。
企業の在り方も、その時代に即して変化して、常に新しいサービスを創造していかなければならないということでしょうか。
ここから先のお話しは、現社長のご子息であり、同社のホームページ開発担当者でもある、田中由虎さんにお伺いします。

田中由虎さんは昭和49年生まれ、父でもある現社長の病気もあり、大学卒業後同社に就職しました。趣味は草野球、また、地元のイベント等で南河内が生んだヒーロー「コーダイガー」の一人として、ショーに出演されることもあるそうです。
由虎さんが特にこだわっていることは「木をいかに良く見せるか」ということです。安価な材料でも、そこに何らかの付加価値を与えられれば良い材料と感じてもらえるはず。

そこで着目したのが、木材に塗る塗料です。
田中製材所さんでは、日本オスモ㈱の大阪販売店としてオスモカラー(OSMO/COLOR)の販売を始めました。
オスモカラーはひまわり、大豆、アザミといった自然の植物油を主成分とした無公害の環境に配慮した木材用塗料です。表面にプラスチックのような塗膜を形成するのではなく、木の繊維と一体化し、木材の調湿性を妨げず、美しい木肌の温もりを生かすことができます。
こうした木材に付与する新しいサービスの提供とともに、「自社独自の専門性、こだわりを出して、お客さんが自然に寄ってくるような魅力的な材木屋さんにしたい」と今後の抱負について語る、由虎さん。
勝社長も「お客さんに当社へ来たら全て間に合わせてくれる。頼まれれば何とかしてくれる、信頼される仕事をすることを心掛けて商売したい」とそれぞれ年代の違いから発想は違いますが、木材業に対する考え方を伺うことができました。
≪写真4 豊富なオスモカラーの在庫≫
≪豊富なオスモカラーの在庫≫

 ≪写真5 フローリング商品の一例≫
≪フローリング商品の一例≫
最後にお店のご紹介です。
建築用資材はもちろん、土木用材、新建材、住宅機器等幅広いニーズに対応いたします。
もちろん、一般のお客さんも歓迎いたします。オスモカラー、無垢フローリング、デッキ材、古材等の販売まで、木に詳しい材木屋さんの強みを生かして皆様の日曜大工のお手伝いをいたします。どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。

社長さま、由虎さん、長時間の取材にご協力いただき誠に有り難うございました。

有限会社田中製材所〒583-0861
大阪府羽曳野市西浦 3-2-25
TEL 072-957-0707
FAX 072-957-0708会社の詳しい情報はこちら →HPはこちら