仲買会館 7月2日着工!!(2012.7.4更新)

7月2日「大阪木材仲買会館」の工事着工前に、地鎮祭が執り行われました。

地鎮祭は、土木・建築などの起工に先立ち、その土地の神を祭り、工事の無事を祈る儀式で、別名とこしずめの祭り・地祭り・地祝いとも呼ばれています。

当日は組合理事、来賓者をはじめ工事関係者ら約60名が出席、くわ入れなどの神事を執り行って工事の無事を祈願しました。(完成は来年3月予定)

近隣の皆様には、引き続きご不便、ご迷惑をおかけしますが、ご協力の程よろしくお願いいたします<(_ _)>

   

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。

今回は、大阪平野の南東部、大阪府と奈良県との府県境に位置する柏原市にやってきました。雰囲気は大阪市内とは違い、辺りには山や畑が続く田園風景が見られます。
 柏原市は市域の3分の2を山が占め、中央部を大和川が流れています。大阪の都心からわずか20kmほどの距離にありながら、緑の山々と美しい渓谷、豊かな川の流れなど、多彩な自然環境を備えた、暮らしやすそうな街です。
 山麓にはブドウ畑が多く、夏から秋にかけてはブドウ狩りが盛んに行われています。また、このブドウからできたワインは、柏原地ワインとして知られています。かつてはこの辺りは河内木綿が有名でした。最近までゆかた生地の生産が行われており全国シェアの約25%を占めていたということですから驚きです。
 現在の柏原市は、宝永元年(1704年)に行われた大和川の付け替えに始まります。これは、柏原においてその流路をふさぎ、堺へ向かう新川を設ける大土木工事でした。この大和川付け替えの時期は、それまで時勢の流れに従うままの柏原が旧態から前進し、脱皮する大転換期でもありました。この付け替えによって、旧大和川床に開発された新田は、木綿と米との輪作地として利用され、物産は了意川に就航した柏原船や新大和川の剣先船などによって商都大阪へと販路が開かれ、柏原の繁栄の原動力となりました。
 明治22年に鉄道が開通して、柏原の近代改革を促進し、さらに昭和に入ると産業道路の開通による自動車運輸の発展によって、近郷の貨物の集散地として柏原のもつ役割はより重要になってきました。 

   自社のトラック(スギ材使用)

   国道165号線を近鉄大阪線に沿って、香芝方面に向かって車を進めると、大阪教育大学前駅が見えてきました。165号線から住宅地の坂道をぬうように走っていくと、材木屋さんらしい敷地の一角が見えてきました。
 それでは、早速、今回の取材先の丸幸木材店さんについて、まず会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。お話をお伺いしたのは、店主 長尾幸男さんの御子息である長尾貴史さんです。

          社屋外観                   事務所内の様子

 

 マル幸木材店さんは昭和42年に現所在地のすぐ近くで創業されました。

 最近の取材で、創業100年、もしくはそれ以上というお店もある中、比較的最近のお話のように感じます。創業時から現在まで、ほぼ営業形態に変化はなく、一般建築用の木材を大工、工務店、建設会社、不動産業者に販売する典型的な街の材木屋さんとして営業されています。主な取扱商品、サービスは、新築、リフォームに用いる木材の販売ですが、時折、クチコミなどを通じて「日曜大工用の木材を分けてほしい」との要望もあり、一般消費者の方にベニヤ板や木材を販売することもあるそうです。
 また、貴史さんの友人が経営する異業種の会社がホームページを立ち上げ、ビジネスに活用しているとの話を聞いたことをきっかけに、3年程前に自社のホームページを立ち上げられました。「まだ、実際の商売につながるまでに十分活用できていませんが…」とのことですが、今後は現在の事業内容の幅を広げるためにも一般消費者の方とより多くの接点をもって、いわゆるウェブショッピングができるように改良できればと考えておられます。

 ここで、長尾貴史さん個人についてのお話をお伺いします。

         長尾貴史さん

 長尾貴史さんは、昭和42年柏原市生まれです。地元の小中学校を経て、高校を卒業後、家業であるマル幸木材店に勤務することになりました。
 学生時代から、アルバイトでお店の仕事を手伝いながら、将来、父の事業を引き継ぐにあたって、市場での仕入れや建築現場で懸命に勉強し、現在では社業のほぼ全般を担当されています。

 趣味は、得意先の方とのゴルフや釣りです。

最後にお店のPRです。地域社会に密着した小回りのきく材木屋さんです。

業者向けの建築材の販売だけでなく、一般消費者の方に日曜大工の材料の販売、そして材質の特徴や作り方についても適切にアドバイスさせていただきます。

        倉庫内の様子

オリジナル商品の開発にも力を注いでおります。木の枝を使用し、1本1本削りだした柄を使ったオリジナル金槌や、子供用のぬくもりのあるベンチなど、オリジナル商品もラインナップしていく予定です。また、オーダー家具製作も承っております。
 こんなものがあったらと、リクエストがございましたらご参考にさせていただきますので、どしどしお問い合わせください。
さらに、個性的な無垢のフローリング材をご用意いたしております。
自社ホームページ(http://www.marukou.net/)に掲載されていないものでも、お探しのフローリング材がございましたら、イメージをお伝えいただければ、お探しいたします。

 

貴史さん、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。(2012.6.11更新)

マル幸木材店
〒582-0024
柏原市田辺2-4608-1
TEL 072-977-1688
FAX 072-977-7788
会社の詳しい情報はこちら    →HPはこちら

安全祈願祭を終えこれまでの間に、足場養生を組立て、工作物等を建物から撤去する作業が行われてきました。

工作物等とは、建物本体から手作業で撤去できるもので、窓ガラス・サッシ・畳・建具・石膏ボード・断熱材・不用品・設備機器等のことをいいます。

そして、次の工程である建物本体の解体のため、今月4日に大型重機が搬入され、翌日5日には本格的に建物の解体がスタートしました!

今後、壁、屋根、梁、柱など残った上屋を解体し、基礎を掘り起こし、撤去する作業へと移ります。

この作業中は、防塵のため常に水をまきながらの作業となります。

工事期間中は近隣の皆様にご不便、ご迷惑をおかけしますが、ご協力の程よろしくお願いいたします。

解体工事が始まって約2週間が経ちました。

今はまだ建物の外観に大きな変化はありませんが、内装や外構が少しづつ解体され、更地へ向け着々と工事が進んでいました。

左は、一階事務所と勝手口をつなぐ通路の様子です。

右は、仲買会館正面玄関の様子です。写真は入口から門へ向かって撮影したもので、植栽が全て無くなり更地へと姿を変えていました。

こには正面玄関へと続く新たなアプローチと、建物の1階に木材の展示スペースが設けられる予定です。

私たち職員も沢山の思い出がある会館が解体されていくのは、感概深いです(。-_-。)/

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。

今回は、大阪府西部、すぐお隣が兵庫県尼崎市の西淀川区にやってきました。
 組合所在地の大阪市西区から国道43号線を10分ほど走り、側道を抜けて「中島」という交差点を左に曲がると、徐々に住宅は見られなくなり、西淀川区の中島工業団地に入ってきました。
 周囲を見渡すと、倉庫や工場、物流センターが建ち並び、また道路を走っている車も大型のトラックが多く、いかにも工場地帯といった雰囲気です。この中島工業団地は42万坪もの規模であるようで、阪神高速5号湾岸線中島出入口や国道43号線、名神高速豊中インターにも近いということで各企業の物流拠点として絶好の立地条件です。
 工業団地内を奥へ奥へと進むに従って、リサイクル業者と鉄工所が見えてきました。地図ではこの付近のはず?と半信半疑でしたが、ほどなく取材先である杉田木材㈱さんの看板を確認してひと安心しました。

 それでは、早速、今回の取材先の杉田木材㈱さんについて、まず会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。お話をお伺いしたのは、専務取締役の杉田知視さんです。

              社屋外観             事務所内の様子

 

 杉田木材さんの始まりは何と1872年(明治5年)ということですから驚きです。この頃の日本は、国内で最初の学校制度が定められ、また同年には、日本初の鉄道路線である新橋駅―横浜駅間が正式開業を迎えたということですから、私からはちょっと想像しにくいほどの古い話です。この年、初代の杉田兵助氏によって西淀川区佃で納材問屋を開業(薪・小丸太の販売業)したのが業歴としてのスタートとなります。明治35年には、杉田市太郎氏が杉田材木店という名称で個人商店を創業され、丸太を製材・加工し、工場に納める材料を、また梱包材として取引先に納める商いをされていました。
 昭和8年には、杉田兵作氏(杉田専務の祖父)が事業継承しましたが、程なくして昭和17年、戦時中の木材統制令により一旦事業の閉鎖を余儀なくされます。昭和21年統制令の撤廃により、西淀川区佃で営業再開し、昭和23年には現社名の杉田木材㈱へ法人に改組(代表者:杉田兵作氏)されます。この頃は、電鉄会社の枕木、梱包材、また西淀川区を中心とした工場営繕用の木材の納材を主たる事業として社業が発展していった時代でした。
 その後、昭和34年には杉田兵作社長の逝去により実弟の杉田義雄氏が社長に就任され、続いて、昭和40年には、現社長の杉田幸視氏が社長に就任しました。昭和40年頃は東京オリンピックが開催されるに伴って、国内の交通網の整備や競技施設が必要となり、新幹線や道路などのインフラや競技場、武道館といった競技施設が整備され国内の建築需要が高まりました。それを機に杉田木材さんも土木・建築業への納材を開始し、大手ゼネコンなどを得意先に持ち、事業は安定していました。

      マンション用の造作材

このマンション関係の造作材は、現在でも同社の売上の大部分を占め、ほぼLVL間柱や合板、ボードの販売に特化しており、また、ホームセンターなどで取り扱っていない独自の商品を扱っていることが強みであるようです。

 
 
 
 
 
 

 

          杉田知視専務

 

 ここで、杉田専務個人についてのお話をお伺いします。

 杉田木材 専務の杉田知視さんは、昭和36年兵庫県尼崎市生まれです。西宮市内の小中学校を経て、大阪市内の高校を卒業後、一旦東京の木材問屋にて勤務されます。7年間の修行の後、家業の杉田木材さんに戻られました。
 平成15年に専務に就任されてからは、社業のほぼ全般を担当されています。
「仕事が趣味」という杉田専務は、「暖簾(のれん)に驕れる事なく本業に徹し、本業を極めよ」という言葉をモットーに日々、木材流通業に精励されています。永い歴史を持つ杉田木材さんを将来に亘り経営していくにあたり、社会形態も変化し、国内の木材業界の市場規模が縮小している状況にあって、「従来の木材業のやり方に胡座(あぐら)をかいて商売を行うのではなく、現在のやり方を見直して状況に応じていかに商売を変えていくかという創意工夫が必要である」という考え方で経営にあたっておられます。

          倉庫内の様子

また、一方、木材業界も効率化と合理化等を進めるビジネスへとここ数年変化している中で、「商売の原点に戻り、人と人、心と心で会話する商いの基本を今一度見つめ直すべき」と述べられました。営業方法やサービス、付加価値は新しいものを追求しつつも、経営者としての心構えは昔ながらの木を生業とする商売人として、お客さまへの誠実な対応と地道な努力が大切だということですね。杉田専務、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。(2012.5.18更新)

杉田木材株式会社
〒555-0041
大阪市西淀川区中島2-12-94
TEL 06-6471-0155
FAX 06-6472-2325
  

5月14日に解体工事中の様子を見に、仲買会館へ行ってきました。

左の写真は2階大会議室の様子。いよいよ新会館へ向けての工事がスタートしました!

右の写真は、会館の外観を東南から撮影した写真です。仮囲いを組立ている途中です。

これからは、1、2週間に一度のペースで会館の工事状況を 「始動!!新会館」 で報告させて頂きますのでお楽しみに!(^^)!

5月12日より、いよいよ仲買会館の解体工事がスタートいたしました。

工事を始めるにあたり、作業中の安全を祈念して、前日の11日に安全祈願祭が行われました。

祈願祭には、工事関係者、建替実行委員等約30人が出席、清祓などの神事を行い工事の安全を祈りました。

6月末へ向けて一旦更地になり、7月から徐々に新会館の施設が形になっていきます。待ち遠しいですねd(・∀・*)♪

今後の進捗状況も随時UPしていきます☆

4月14日、八尾市立曙川東小学校で出前授業を開催しました。
詳しい内容につきましては「組合活動実績」のコーナーでお知らせ
してますので、ご確認下さい。
 なお、7月19日に大阪市住吉区内の小学校で出前授業を開催する
予定がございます。今後、この「トピックス」で情報を随時掲載いたします
のでご期待願います。            (2012.5.7更新)

4月14日、八尾市立曙川東小学校にて出前授業を開催しました。
 第27支部/㈲古形木材・古形社長が曙川東地域福祉協議会と繋がりがあることから、今回は学校の授業といった形式ではなく、同福祉協議会主催の「わくわく推進活動」の一環として開催することになりました。
 当日は、古形社長と、当組合からは出前授業を所管する、開発研究委員会から宇田副理事長及び杢保委員長、森下理事、兼田理事の4名が指導役となり、また、福祉協議会のスタッフの方々にもお世話になり、事務局職員とともに、児童とその保護者の皆さんに地域の材木屋さんの団体である当組合について、そして木材利用の有効性についてPRいたしました。
 参加者は、二年生から六年生までの30名の児童と保護者15名の計45名でした。
 福祉協議会の山下会長から開会の挨拶をいただき、当組合からは、宇田副理事長の挨拶の後、事務局・倉橋の司会により、授業は始まりました。
 当日の授業内容について概要説明を行った後、DVD「木づかいで地球を救え!」を鑑賞しました。続いて、休憩を挟んで、1チーム8〜9人の5チーム対抗での「樹種当てクイズ」を実施いたしました。

出前授業①
保護者の方も真剣!樹種あてクイズ

 
 チームは児童3チームと保護者2チームでの構成となり、5種類の樹種に触れたり、匂いをかいで、相談しながら解答しました。児童は色々な樹種に興味津々で、保護者の皆さんも笑顔も見られる中、真剣に取り組まれていました。
 全チームの解答完了を確認した後、倉橋から、正解発表と樹種の特徴を解説しました。答えを確認しながら、児童とともに保護者の皆さんからも歓声が聞こえてきました。
 
 
再び、休憩を挟んで、いよいよ「親子木工教室」椅子作りをスタートしました。

出前授業②
 親子木工教室・椅子作りの様子

 児童と保護者の方が一緒になって、スタッフが作り方と釘の打ち方などを説明した後、親子で相談する声と金槌を打つ音があちこちで聞こえてきました。慣れた手つきで、次々と作業を進める児童、失敗してやり直したり悪戦苦闘する児童と様々でしたが、予定の時間にはほぼ全員の作品が完成しました。
 曙川東小学校 和田校長から閉会の挨拶の後、今回の出前授業の開催にあたり、曙川東地域福祉協議会に対して働きかけて下さった古形社長から、「杉や桧の木による花粉症は、日本の山を手入れする人がいなくなったことが原因なので、住宅を建てる際は、杉や桧といった国産材を積極的に利用いただいて、日本の山や自然環境を守ってもらいたい」との主旨の締め括りの挨拶がありました。
 今回も色々な授業を実施しましたが、地球の環境を守るために適切に木を伐採して、森に手入れを施すことが大切であること、そして、木は人の健康という観点から建築材料として、鉄やコンクリートよりも優れた素材であるということをPRできたかと思います。        (総務課 倉橋記)

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。

今回は、日本屈指のコリアンタウン、大阪市生野区にやってきました♪。
生野区は大阪市の東南部に位置し、東は東大阪市に、北は近畿日本鉄道を区界に東成区に、西はJR環状線を区界に天王寺区に、南は国道25号線および平野川を区界に阿倍野区、東住吉区、平野区にそれぞれ接しています。
 車で大通りから少し中に入ってみると、細い道路が多く、一方通行に出くわすこともあり、この辺りに慣れてない方は車での通行は少々苦労するかも知れません。さらに古く、比較的小さな住宅が密集しており、区内は人口密度が極めて高く、市内有数の過密区となっているのが特徴です。ところで、生野区といえばコリアンタウンとしても有名で、外国人登録数は全市第1位で、区民の4人に1人は外国籍住民なんです。また、区内の人口に占める65歳以上の人口比は26.6%と全市平均22.5%を大幅に上回っており、市内でも高齢化が著しい地域でもあります。
 区内の産業は、個人経営の商店・工場が多いのが特徴ですが、なかでも金属加工・ゴム製品関係の製造業が多く、東大阪市と同様に代表的な中小企業の街です。
それでは、早速、今回の取材先の㈱丸ひ商店さんについて、まず会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。お話をお伺いしたのは、樋富隆治社長です。

①
        社屋外観
②
     事務所内の様子

 ㈱丸ひ商店さんのルーツは昭和20年にさかのぼります。
 現社長の父である樋富孝男さんにより、現在の所在地にて個人の材木屋さんとして創業されました。当時から、営業形態は、大工・工務店・建設会社に住宅材として木材の販売を専門に行う木材業者でした。
 その後、昭和28年には現社名の㈱丸ひ商店へと、法人に改組しました。(代表者は樋富孝男さん)
 その頃は、現在のように外国産の輸入材ではなく、国産、内地材とも呼ばれる、杉・桧がよく売れていた時代であったようで、昨今ではあまり見られなくなりましたが、国産の木材がふんだんに用いられた純日本風の木造住宅が建築されることがほとんどであったという時代のトレンドを反映しています。

③
       木材加工の様子

 昭和40年代に入ると、日本国内の高度経済成長の波にのって、30年代に引き続き住宅需要は旺盛であったものの、日本人の趣味嗜好も欧米化が進み、洋風が好まれてきたこともあって、外国からの輸入木材が国内で販売されるようになってきました。
 北米産の米栂、米松が大量に安く入ってきたため、国産の高級な木材は、外材との価格競争に押されて、その需要が圧迫されるようになりました。ときを同じくして、いわゆる内装建材(プリント合板、フロアー材など)が住宅資材として登場し、住宅資材として、これまで見られなかったものが台頭してきた過渡期ともいえるのではないでしょうか。
 昭和50年、現社長の樋富隆治さんが㈱丸ひ商店に入社されました。昭和50年代以降は、国産材の需要が大幅に縮小し、取扱商品の7割が外材にとってかわり、木材流通や住宅関連業界も変化を余儀なくされたのです。

④
          樋富社長

ここで、社長さん個人についてのお話をお伺いします。
 現社長の樋富隆治さんは、昭和28年大阪市生野区生まれです。幼少から現在まで生野区で過ごし、材木店の御子息らしく、学生時代から家業の手伝いをご経験されていました。近畿大学を卒業後、父の仕事をする姿に憧れて家業の㈱丸ひ商店に入社、平成元年に社長に就任され、現在に至ります。趣味は登山(大阪・奈良方面)です。

⑤
          小国杉

「現在はコストのこともあってか、住宅では外国産の木材が多く利用され、国産の木材は高級品として敬遠されている。国産材でも、商品によっては品質が良く、しかもお手頃な値段のものもあるので、私としては、木材の専門家としてお客さんに納得のいく説明をして、国産材の良さを知ってもらった上で、是非、利用していただきたいと思っています。」と樋富社長は国産の木材の良さを力説されます。
社長さんは、私を会社の倉庫に案内して下さり、自社の商品を一つひとつ丁寧に説明して下さいました。柱やテーブルに利用する大きな木材から、内装に使う細かな木材、国産材から外国の珍しい木材まで、多種多様でしかも、たくさんの商品が備わっているという印象でした。
 最後に会社のPRです。㈱丸ひ商店は、「謙虚な心で仕事にあたる」をモットーに創業以来、地元に愛され、誠実に木材の商売を行なっています。今後は、特に国産の木材の良さを知ってもらい、お客さまに積極的に利用していただきたいと思っております。なお、国産材だけでなく建材や住宅機器に至るまで、幅広く商品を取り揃えておりますので、お近くにお立ち寄りの際には、当社にお越しいただき、商品を見て、触って木の素晴らしさを感じていただきたいと思います。

樋富社長、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。 (2012.4.6更新)

株式会社丸ひ商店
〒544-0001
大阪市生野区新今里6-3-15
TEL 06-6753-0815
FAX 06-6753-0852
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