解体工事スタートです!(2012.5.18更新)

5月14日に解体工事中の様子を見に、仲買会館へ行ってきました。

左の写真は2階大会議室の様子。いよいよ新会館へ向けての工事がスタートしました!

右の写真は、会館の外観を東南から撮影した写真です。仮囲いを組立ている途中です。

これからは、1、2週間に一度のペースで会館の工事状況を 「始動!!新会館」 で報告させて頂きますのでお楽しみに!(^^)!

5月12日より、いよいよ仲買会館の解体工事がスタートいたしました。

工事を始めるにあたり、作業中の安全を祈念して、前日の11日に安全祈願祭が行われました。

祈願祭には、工事関係者、建替実行委員等約30人が出席、清祓などの神事を行い工事の安全を祈りました。

6月末へ向けて一旦更地になり、7月から徐々に新会館の施設が形になっていきます。待ち遠しいですねd(・∀・*)♪

今後の進捗状況も随時UPしていきます☆

4月14日、八尾市立曙川東小学校で出前授業を開催しました。
詳しい内容につきましては「組合活動実績」のコーナーでお知らせ
してますので、ご確認下さい。
 なお、7月19日に大阪市住吉区内の小学校で出前授業を開催する
予定がございます。今後、この「トピックス」で情報を随時掲載いたします
のでご期待願います。            (2012.5.7更新)

4月14日、八尾市立曙川東小学校にて出前授業を開催しました。
 第27支部/㈲古形木材・古形社長が曙川東地域福祉協議会と繋がりがあることから、今回は学校の授業といった形式ではなく、同福祉協議会主催の「わくわく推進活動」の一環として開催することになりました。
 当日は、古形社長と、当組合からは出前授業を所管する、開発研究委員会から宇田副理事長及び杢保委員長、森下理事、兼田理事の4名が指導役となり、また、福祉協議会のスタッフの方々にもお世話になり、事務局職員とともに、児童とその保護者の皆さんに地域の材木屋さんの団体である当組合について、そして木材利用の有効性についてPRいたしました。
 参加者は、二年生から六年生までの30名の児童と保護者15名の計45名でした。
 福祉協議会の山下会長から開会の挨拶をいただき、当組合からは、宇田副理事長の挨拶の後、事務局・倉橋の司会により、授業は始まりました。
 当日の授業内容について概要説明を行った後、DVD「木づかいで地球を救え!」を鑑賞しました。続いて、休憩を挟んで、1チーム8〜9人の5チーム対抗での「樹種当てクイズ」を実施いたしました。

出前授業①
保護者の方も真剣!樹種あてクイズ

 
 チームは児童3チームと保護者2チームでの構成となり、5種類の樹種に触れたり、匂いをかいで、相談しながら解答しました。児童は色々な樹種に興味津々で、保護者の皆さんも笑顔も見られる中、真剣に取り組まれていました。
 全チームの解答完了を確認した後、倉橋から、正解発表と樹種の特徴を解説しました。答えを確認しながら、児童とともに保護者の皆さんからも歓声が聞こえてきました。
 
 
再び、休憩を挟んで、いよいよ「親子木工教室」椅子作りをスタートしました。

出前授業②
 親子木工教室・椅子作りの様子

 児童と保護者の方が一緒になって、スタッフが作り方と釘の打ち方などを説明した後、親子で相談する声と金槌を打つ音があちこちで聞こえてきました。慣れた手つきで、次々と作業を進める児童、失敗してやり直したり悪戦苦闘する児童と様々でしたが、予定の時間にはほぼ全員の作品が完成しました。
 曙川東小学校 和田校長から閉会の挨拶の後、今回の出前授業の開催にあたり、曙川東地域福祉協議会に対して働きかけて下さった古形社長から、「杉や桧の木による花粉症は、日本の山を手入れする人がいなくなったことが原因なので、住宅を建てる際は、杉や桧といった国産材を積極的に利用いただいて、日本の山や自然環境を守ってもらいたい」との主旨の締め括りの挨拶がありました。
 今回も色々な授業を実施しましたが、地球の環境を守るために適切に木を伐採して、森に手入れを施すことが大切であること、そして、木は人の健康という観点から建築材料として、鉄やコンクリートよりも優れた素材であるということをPRできたかと思います。        (総務課 倉橋記)

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。

今回は、日本屈指のコリアンタウン、大阪市生野区にやってきました♪。
生野区は大阪市の東南部に位置し、東は東大阪市に、北は近畿日本鉄道を区界に東成区に、西はJR環状線を区界に天王寺区に、南は国道25号線および平野川を区界に阿倍野区、東住吉区、平野区にそれぞれ接しています。
 車で大通りから少し中に入ってみると、細い道路が多く、一方通行に出くわすこともあり、この辺りに慣れてない方は車での通行は少々苦労するかも知れません。さらに古く、比較的小さな住宅が密集しており、区内は人口密度が極めて高く、市内有数の過密区となっているのが特徴です。ところで、生野区といえばコリアンタウンとしても有名で、外国人登録数は全市第1位で、区民の4人に1人は外国籍住民なんです。また、区内の人口に占める65歳以上の人口比は26.6%と全市平均22.5%を大幅に上回っており、市内でも高齢化が著しい地域でもあります。
 区内の産業は、個人経営の商店・工場が多いのが特徴ですが、なかでも金属加工・ゴム製品関係の製造業が多く、東大阪市と同様に代表的な中小企業の街です。
それでは、早速、今回の取材先の㈱丸ひ商店さんについて、まず会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。お話をお伺いしたのは、樋富隆治社長です。

①
        社屋外観
②
     事務所内の様子

 ㈱丸ひ商店さんのルーツは昭和20年にさかのぼります。
 現社長の父である樋富孝男さんにより、現在の所在地にて個人の材木屋さんとして創業されました。当時から、営業形態は、大工・工務店・建設会社に住宅材として木材の販売を専門に行う木材業者でした。
 その後、昭和28年には現社名の㈱丸ひ商店へと、法人に改組しました。(代表者は樋富孝男さん)
 その頃は、現在のように外国産の輸入材ではなく、国産、内地材とも呼ばれる、杉・桧がよく売れていた時代であったようで、昨今ではあまり見られなくなりましたが、国産の木材がふんだんに用いられた純日本風の木造住宅が建築されることがほとんどであったという時代のトレンドを反映しています。

③
       木材加工の様子

 昭和40年代に入ると、日本国内の高度経済成長の波にのって、30年代に引き続き住宅需要は旺盛であったものの、日本人の趣味嗜好も欧米化が進み、洋風が好まれてきたこともあって、外国からの輸入木材が国内で販売されるようになってきました。
 北米産の米栂、米松が大量に安く入ってきたため、国産の高級な木材は、外材との価格競争に押されて、その需要が圧迫されるようになりました。ときを同じくして、いわゆる内装建材(プリント合板、フロアー材など)が住宅資材として登場し、住宅資材として、これまで見られなかったものが台頭してきた過渡期ともいえるのではないでしょうか。
 昭和50年、現社長の樋富隆治さんが㈱丸ひ商店に入社されました。昭和50年代以降は、国産材の需要が大幅に縮小し、取扱商品の7割が外材にとってかわり、木材流通や住宅関連業界も変化を余儀なくされたのです。

④
          樋富社長

ここで、社長さん個人についてのお話をお伺いします。
 現社長の樋富隆治さんは、昭和28年大阪市生野区生まれです。幼少から現在まで生野区で過ごし、材木店の御子息らしく、学生時代から家業の手伝いをご経験されていました。近畿大学を卒業後、父の仕事をする姿に憧れて家業の㈱丸ひ商店に入社、平成元年に社長に就任され、現在に至ります。趣味は登山(大阪・奈良方面)です。

⑤
          小国杉

「現在はコストのこともあってか、住宅では外国産の木材が多く利用され、国産の木材は高級品として敬遠されている。国産材でも、商品によっては品質が良く、しかもお手頃な値段のものもあるので、私としては、木材の専門家としてお客さんに納得のいく説明をして、国産材の良さを知ってもらった上で、是非、利用していただきたいと思っています。」と樋富社長は国産の木材の良さを力説されます。
社長さんは、私を会社の倉庫に案内して下さり、自社の商品を一つひとつ丁寧に説明して下さいました。柱やテーブルに利用する大きな木材から、内装に使う細かな木材、国産材から外国の珍しい木材まで、多種多様でしかも、たくさんの商品が備わっているという印象でした。
 最後に会社のPRです。㈱丸ひ商店は、「謙虚な心で仕事にあたる」をモットーに創業以来、地元に愛され、誠実に木材の商売を行なっています。今後は、特に国産の木材の良さを知ってもらい、お客さまに積極的に利用していただきたいと思っております。なお、国産材だけでなく建材や住宅機器に至るまで、幅広く商品を取り揃えておりますので、お近くにお立ち寄りの際には、当社にお越しいただき、商品を見て、触って木の素晴らしさを感じていただきたいと思います。

樋富社長、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。 (2012.4.6更新)

株式会社丸ひ商店
〒544-0001
大阪市生野区新今里6-3-15
TEL 06-6753-0815
FAX 06-6753-0852
会社の詳しい情報はこちら    

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。
 今回は、大阪の川を挟んですぐ西隣の兵庫県尼崎市にやってきました。
 私自身も尼崎生まれで、現在も在住ですが、何か気取っていない庶民的で住みやすい街という印象を持っており、京阪神都市圏住民からは親しみを込めて日常的に「尼(あま)」と略して呼ばれています。
兵庫県とはいっても大阪市内とさほど雰囲気は変わりありません。尼崎市は、皆さんもご存知のとおり、関西圏屈指の工業地帯として知られ、主に市南部に工業地域、中南部には商業地域、そして市中部から北部にかけて住宅地が広がっています。電車では、20分以内に大阪市や神戸市の都心へ到達することが出来るなどアクセスも良い立地です。
元々、尼崎市は、旧尼崎藩領や旧旗本領の元農村地域を中心に構成された工業都市であることから、尼崎独自の都市圏を構成するために、大阪のベッドタウンとしての要素は薄く、拠点性があるという特徴があります。人口密度は兵庫県内で最も高く、日本国内においても20位以内に入ります。また、南部の海岸部は阪神工業地帯の中心部でもありますが、埋立地の部分が多く、海抜ゼロメートル以下の地域が少なくなりません。
それと余談ですが、尼崎市の市外局番は兵庫県でありながら「06」であることがよく知られていると思います。明治初期、旧尼崎藩士族や地主の出資による近代紡績工場設立の際、資金難からやむを得ずに商業地大阪の資本参加を受け入れ、繊維取引の場所である大阪船場との電話通信費節約の目的で大阪市内から直接電話回線を引いたため、以来、市外局番は「06」となっているそうです。
大阪市内から国道2号線を車で走ると、30分足らずで尼崎市内に入り、ほどなくして、今回の取材先の㈱上北昇商店さんの看板が見えてきました。
 それでは、早速、会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。当日は会長の上北昇さんにお話を伺いました。

①
               社屋外観
②
                  事務所外観

 
 創業者である上北昇さん(現会長)は、奈良県吉野の山林経営者の御子息として生まれ、地元の高校卒業後、一旦奈良県庁に就職したものの、戦後、大阪一帯が焼け野原となった姿から、次々と木造の住宅や建築物が建てられる様を目の当たりにして、「これからは木材の時代、木材に携わる仕事をやりたい。」と決意し、現所在地で商売を始めました。上北会長、若干23歳の頃です。
当時の日本は戦後で、木材統制法が施行された中、全国の木材業者は木材を製品として販売することは困難であったので、創業時の商売は、実家のある奈良県吉野の山から、製材で残った木材(杉、桧、松など)を尼崎まで運んできて、それを燃料として販売する営業形態でした。(当時の社名は個人の上北商店)
 当時は、現在のように、ガスが普及しておらず、家庭で使用する燃料も薪がほとんであったようで、近隣からお店に買いに来るお客さんが多く、良く売れたそうです。
 創業時から、燃料としての木材販売を4〜5年ほど行った後、昭和30年代前半から地域の建築業者への建築材の納材が主な事業となっていき、いわゆる仲買業者へと業態がシフトしていきます。この頃は、地元尼崎を中心とした大手企業(住友金属、日立、古川工業、積水科学など)の仕事を建築業者と提携して請負うなど木材販売は好調な時代でした。企業の社宅の建築や営繕関係、工場内の機材や荷造り材としての納材など、扱う仕事のボリュームも大きく、昭和39年には、現社名の株式会社上北昇商店へと法人に改組しました。
 昭和40年代以降は、尼崎市内の学校、公民館、保健所など官公庁の建築や営繕の仕事を行い、安定はしていたものの、建築関係の売上は徐々に伸び悩んできました。そこで、業態のシフトを余儀なくされ、建築材だけでなく梱包材や建具、家具の材料まで業務の幅を広げることとなりました。
 時代は平成に入ると、平成15年1月、上北会長は経営の第一線から退かれ、御子息である上北将人さんが代表に就任され、現在に至っています。

③
              市長(当時)からの表彰
④
               上北昇会長

 
 続いて、上北昇会長個人についてご紹介致します。上北昇さんは、昭和3年奈良県吉野生まれの現在84歳です。代々の山林経営者の家庭に生まれ、地元の高校を卒業後、奈良県庁に就職されます。奈良県庁に勤務しながら、一旦、大阪工業大学で勉学に励むなどの勤労学生も経験された後、尼崎市で事業を始められました。上北会長の趣味についてお聞きすると、「ゴルフ30年、詩吟40年、家庭菜園40年、山林経営40年。」との答えが返ってきました。84歳という年齢を感じさせないほど、活発で多趣味な印象の方です。また、12年間地元の公園の掃除をされ、そのボランティア活動に対して当時の市長から表彰されたり、社会福祉協会の仕事に尽力されたことに対して感謝状を受けるなど、木材業に力を注ぎながらも地域社会での活動にも積極的に参加されるなど、その功績に対する賞状からも上北さんのお人柄が伺えました。

⑤
      倉庫内部の様子

木材業界もかつてのように、旺盛な住宅建築の需要からの恩恵がなくなりつつある昨今、上北会長は現在の木材業界のあり方について警鐘を鳴らしておられます。「木材業界は今までように建築需要に依存するという考えを抜本的に改めなければならない時代に来ているのではないか。そんな状態が続いていれば、業界全体で衰退の一途に向かうだろう。高齢化社会の進展に伴い、将来にわたり住宅着工戸数も減少するだろう。そんな時代の変化に伴い、木材業界も新たな需要の創造が必要である、例えば、人間が絶対に必要とする消費に伴うもの、人間が食べる食料や家畜で利用する飼料など食用での利用や、衣類など、業界全体で新たな需要の開発に向けて真剣に考えていくべき過渡期が来ていると思う。」と今後の木材業界のあり方について考えを述べる上北会長。

⑥
       事務所内の様子

最後にお店のPRです。尼崎市にて創業55年の㈱上北昇商店です。建築・土木・梱包・建具用の木材販売及び住宅機器、新建材の施工販売を行なっています。また、当店は、各種木材合板カット加工を行っており、お客様の必要な長さ、大きさに寸法切り致します。例えば、節があっても差支えない物干しや床修理、屋根等まで用途をお伝え下されば大小に拘らずご相談に応じます。木材、合板のことなら1枚、1本〜1000本それ以上でもご用意します。大きな材、数の多いものも大手業者と提携していますので、安心してご相談下さい。
パナソニック電工、永大産業等、大手住宅機器メーカーの建材。木材・合板・建材機器など何でもそろうをうたい文句に日々勉強を重ねています。

上北会長、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。
 (2012.3.6更新)

株式会社上北昇商店
〒660-0814
尼崎市杭瀬本町1-25-11
TEL 06-6488-5630
FAX 06-6488-5631
会社の詳しい情報はこちら    

 

 1月19日、大阪市立御幣島小学校にて1時間目を第2音楽室で、2時間目から4時間目を図工室にて出前授業を開催しました。
 第15支部/㈱兼田・兼田定廣社長が同校の地域連合会の役員を務められ、日頃より同校と密接な繋がりがあったことにより、開催させていただくこととなりました。
 当日は、兼田社長と、アルブル木工教室を主宰する大宝木材㈱・米地社長、当組合からは出前授業を所管する、開発研究委員会から杢保委員長の3人の方のご協力を賜り、事務局職員とともに、子どもたちに地域の材木屋さんの団体である当組合について、そして木材利用の有効性についてPRいたしました。
 参加してくれたのは、4年生の3クラス105名の子供たちです。
学校側より、山﨑校長の挨拶を頂き、当組合からは、杢保委員長から挨拶があった後、事務局・倉橋の司会により、授業は始まりました。1時間目は、3クラス合同で授業を実施し、DVD「木づかいで地球を救え!」の制作趣旨と当日の授業内容について概要説明をしました。その後、DVDを鑑賞し、続いて、1チーム7人の15チーム対抗で、五種類の樹種の名前を当てる「樹種当てクイズ」を実施いたしました。子どもたちは、五種類の樹種の小径木のサンプルに実際に触れたり、匂いをかいでみながら、各チームで話し合ってクイズに挑戦しました。

御幣島小 出前授業 032
 色んな木に触れて問題に奮闘中!!

全チームの解答完了を確認した後、事務局・倉橋から、正解発表と樹種の特徴について解説しました。答えを確認すると、子どもたちから正解を喜ぶ歓声があちこちで聞こえてきました。また、驚くことに半数以上のチームが全問正解であり、子どもたちの木についての関心の高さを感じました。

   2時間目から4時間目にかけては、「フォトフレーム(写真立て)作り」体験です。
 米地社長の指導の下、最初に金槌を使ってダボを木製の止め具の穴に打ち付ける作業を行いました。力の加減により悪戦苦闘する子どもも見られました。その後、ツキ板をハサミや型抜きで切り取り、小さな木片を使って、フレームに子どもたちお好みのデザインでの飾り付けをしました。フレームの表に写真をはさむアクリル板の取り付けと、裏の穴に棒を金槌で打ち込んでスタンドを作って完成です。子どもたちは、担任の先生やスタッフと相談しながら、オリジナルの作品作りに夢中になっていました。出来上がった作品も、各人各様で、それぞれから、子どもたちの個性が感じられました。

御幣島小 出前授業 051
小学校(右)より、杢保委員長(写真中央左)へ感謝状の贈呈がありました

 今回、出前授業の開催にあたり、御幣島小学校をご紹介いただいた兼田社長から締め括りとして、自然素材としての木材の素晴らしさについてお話しいただき、子どもたちは真剣な表情で聞き入っていました。
 今回の授業においては、子どもたちに対して、様々な体験を通じて木材利用の有用性についてPR致しました。授業で学んだことを家族や周囲の方々に是非伝えてもらい、これからの木材利用の拡大に繋がっていくことを期待しております。

              (総務課 倉橋記)(2012.3.1更新)

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。

今回は、大阪府の南西部、泉北地域の和泉市にやってきました。大阪市内からのアクセスは車では、高速を利用しつつも約1時間の行程です。高速を降りて、一般道を走っていると、泉北ニュータウン付近では近代的な建物や整備された道路が見られる一方、それを抜けると古い地道や山道など大阪府とは思えないほどの未開発の地域も見られ、それらが混在している状態から様々な表情を持つ街という印象を持ちました。
 歴史的には旧石器時代の石器が発見され、遠い昔から人々が生活を営んでいたと考えられる和泉市。市内には、土器、石器、木製品等貴重な文化財が数多く出土した全国有数の弥生時代の集落遺跡である池上・曽根遺跡をはじめ、歴史の数々を綴るドラマとロマンがあふれています。
 奈良時代、「和泉の国」の政治を司る国府が、現在の府中町に置かれ、平安時代には熊野詣の参詣道である熊野街道が本市を通り『蟻の熊野詣』といわれるほどの賑わいを見せ、今もなお「小栗街道」として当時の面影を残しています。江戸時代には幕府の天領や伯太藩領となり特産の「和泉木綿」や農業の発展により産業が興隆し、明治期には綿織物やみかんづくりなどの農業で栄えました。昭和31年、当時の和泉町と北池田、南池田、北松尾、南松尾、横山、南横山の1町6か村が合併、人口約5万人の市として第一歩を踏み出し、昭和35年には八坂町、信太村を編入、現在の市域を形成しました。平成7年に和泉中央駅の開業と桃山学院大学の開校を実現し、平成10年に人口が17万人を突破し、地域の再開発事業も進行中です。

 古い民家が立ち並ぶ一般道を車で走らせていると、今回の取材先の株式会社山口木材住宅さんの看板が見えてきました。
 それでは、早速、会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。当日は社長さんがご不在であったため、山口良一社長の甥の山口倫弘さんにお話を伺いました。

①
        社屋外観
②
        事務所外観

山口木材住宅さんは元々製材業者として創業されました。山口重太郎さんが現在の住所で山口製材所として個人で製材業を始められたのが昭和21年のことです。その後、昭和44年に㈱山口製材所に組織変更しました。当時は、製材業がメインの事業であったため、山を買って、その山から木の伐り出しから製材・加工はもちろんのこと、大工、工務店への販売まで全て行なっていたそうです。
 代表者の変遷については、㈱山口製材所への組織変更とほぼ同時に山口忠雄さんへ、昭和52年に、山口元治さんへ、昭和61年には山口儀三さんへと移っていきます。
 昭和61年には、㈱山口製材所から現社名の㈱山口木材住宅へと社名変更します。
この頃から、製材業より、木材販売業とともに木造住宅専門の住宅請負が主要な事業となっていきます。
 時代は移り、平成に入り現在に至っても、創業時からの事業である製材業は続いていますが、建設業者への木材、建材、住宅機器の販売と木造住宅の新築、リフォームの事業が現在の事業内容となっています。

 ③
        事務所内の様子
④
       山口倫弘さん

 
 続いて、山口良一社長のプロフィールに移ります。山口良一さんは、昭和25年和泉市生まれです。堺市内の高校を卒業後、昭和44年家業である、㈱山口製材所に就職しました。ここで社長の事業のモットーを紹介いたします。「き(木・帰・喜・季)にこだわる家づくり」というそうですが、その意味は「木」…素材のこだわる家、「帰」…帰りたくなるような家、「喜」…喜びあふれる家、「季」…季節を感じる家と、木を扱う事業を行う上で様々な視点からのこだわりがその言葉から感じられます。
一方、本日インタビューに応じて下さった山口倫弘さんのプロフィールを紹介させていただきます。山口倫弘さんは、昭和53年和泉市生まれで、現在も同市に在住です。地元の高校、大学を卒業後、土木関係の会社に2年ほど就職した後、家業に戻られました。趣味は、業界関係者とのゴルフです。

⑤
       倉庫内部の様子

山口木材住宅さんは、地元の和泉、堺、河内長野周辺においての「田舎建ち風」の木造住宅建築に関する納材や請負が主要な業務内容ですが、近年は新築よりも、リフォームの需要が増えてきているようです。過去に新築いただいたOBのお客さん、またはそのお客さんからの紹介が受注の多くを占めるようで、「今後、この件数を更に増やすためにお客さんに役立つ方法を考えていきたい。」と倫弘さん。

 現在、同社では、耐震性、耐久性、維持管理、断熱性など一定の基準を満たした住宅を建築すると税制面や金利面で優遇される「長期優良住宅制度」の相談窓口を行なっているほか、㈱日本住宅保証検査機構(略称/JIO)の住宅瑕疵(かし)保険を取り扱っており、一般消費者の方が住宅取得の際に、万一修補等の瑕疵があるなどのリスクにも安心していただけるように配慮されるなど、住宅に関するあらゆる相談に対応できる体制となっています。
 尚、㈱LIXILの耐震保証付き「スーパーストロング構造体バリュー」加盟店の認定を受けております。(建築基準法の1.5倍の耐震性「耐震等級3」相当の強度を実現)

⑥
    和泉市の新築住宅施工例

最後にお店のPRです。和泉市にて昭和21年創業の㈱山口木材住宅です。新築、リフォームの請負、また杉・桧など優良な国産木材を中心に販売しております。原木からの木材加工・販売も承っており、住宅建材のみならず、家具・エクステリア用の木材も幅広く取り扱っております。また、お客さまのご要望にあわせ、加工させていただいており、内装・外構のリフォームにも柔軟に対応させていただいております。 
 木材加工で培ったノウハウを活かし、木のぬくもりを感じることができる住宅にきっと満足いただけることと思います。 一般の方のお問い合わせも歓迎致します。新築 リフォーム DIY材 木工材料、耐震改修、木材の種類相談、木材加工など、お気軽にご相談ください!

 

 倫弘さん長時間の取材、誠に有難うございました。

株式会社山口木材住宅
〒594-1123
和泉市福瀬町898-1
TEL 0725-92-0130
FAX 0725-92-2132
会社の詳しい情報はこちら    →HPはこちら

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。

今回は、大阪市の西北部に位置する福島区にやってきました。福島区は区内に多くの駅を有し、市内中心部へ、また、神戸方面へのアクセスもよい立地で、交通の要衝となっています。
 ところで「福島」という地名の由来は、菅原道真公が大宰府に流される中、この地に立ち寄ったときに名づけたと伝えられています。また、平家物語には元暦2年 (1185年)2月16日、源義経が平家追討ちに向かった時にこの地を訪れ、「渡辺・福島をいでて…」との記述が残っています。この周辺は湿地帯で細い川が縦横無尽に流れ、川沿いにはフジの花が咲き乱れるフジの名所として知られており、かつては足利義詮、豊臣秀吉らがフジ見物に訪れたとの記録もあります。
 また、福島区は多くの企業の発祥地として有名です。パナソニック(旧・松下電器産業)、オートバックスセブン、丸大食品などがそのルーツとしていることや、また慶応義塾の創始者 福澤諭吉は現在の福島区福島出身であり、外食産業では吉野家の創業者 松田栄吉氏が現在の福島区吉野出身であったことで屋号を「吉野家」としたことなど、福島区は日本経済の歴史を語る上でも欠かせない存在であるといっても過言ではありません。

 組合事務所から大通りを走り高層ビル群を抜けていき、住宅道路に入っていくと、住宅街の一角に材木店が現われます。今回の取材先の株式会社津村材木店さんです。
 到着するや否や社長さんが迎えて下さいました。それでは、早速、会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。応対して下さったのは、代表者の津村雅敏さんと専務取締役の津村芳雄さんです。

写真1
        社屋外観
写真2
     事務所外側から

 津村材木店さんの創業年は定かではありませんが、戦前に現社長の父 津村芳太郎さんにより個人の材木店として創業したのがその始まりです。当時の営業形態は、木材販売業ではなく、原木を仕入れてきて製品に加工する製材業者という形態であったようです。取扱材はシオジやナラといった堅木が主で、製品として加工したものを乗用車の部品やトラックの荷台に利用する用途でトヨタ自動車などの自動車メーカーに販売していました。昭和28年には個人の材木店から現社名の㈱津村材木店へと法人に改組されました。この頃、ほぼ同時期に取扱商品も車輌に用いる材料からブラシの柄に利用される材料としてブナ材の製材業者へと転換していきます。また並行して、大工・工務店に建築材を卸す木材販売業も行うようになりました。

 

写真3
     ロシア材 紅松

 昭和50年代頃からは、建築材料の販売とともに製材業者としても盛んでしたが、取扱商品は変わり、紅松と呼ばれるロシア材の原木を仕入れて、機械の型を造る際に用いる木型材へと加工し、鋳物業者に販売する仕事が主になりました。当時はとても忙しく、10人ほどの従業員を抱えることもありました。

 時代が平成に入ってからは、周辺に住宅が多く建ち並び、近隣との関係もあり製材業をすることが困難となりました。製材加工の際に出る騒音やオガクズ、そして端材処理で木を燃やすことで煙やすすが出るということで製材業から撤退することとなりました。そこで、木型材については販売を専門とするとともに、大工・工務店に建築材を販売する業者へと業態を変化させていきました。

 

写真4
 左が津村社長、右が津村専務

続いて、 津村社長個人のプロフィールに移ります。津村雅敏さんは、昭和18年西宮で生まれ、現在も西宮市在住です。県立鳴尾高校を経て甲南大学を卒業後、すぐに家業である津村材木店に就職しました。「学生の頃から材木を担いだり、配達したりと手伝っていたこともあり、父から言われるまでもなく自然にこの仕事をするような流れになっていました。」と当時を振り返る津村社長。趣味はゴルフです。
 ここからは、話題を会社の将来や方向性ということも含めて現社長の御子息で専務取締役 津村芳雄さんにお話を伺います。津村芳雄さんは昭和48年、西宮市生まれです。専門学校を卒業後、大阪市内のホテルに就職され、厨房での調理を担当されていました。平成7年1月に発生した阪神・淡路大震災の影響により、家業が忙しくなり人手が足りなくなったことから、ホテルという異業種から家業に移ることとなりました。異業種からの転身ということから当初は材木業という仕事で戸惑うことも多かったようです。特に「図面上の標記がメートルやセンチメートルなのに、口頭では1尺、2尺といった尺貫法になることや、住宅に尺モジュールやメーターモジュールとが混在する単位の違いなど戸惑うことがありました。」と津村専務。

一方、異業種からの転身ということで、一般消費者に近い視点から従来の材木店が変わっていかなければならないことも感じておられ、「一般消費者にとって材木店はホームセンターと比べてまだまだ敷居が高い存在と考えられがちであるので、お店に入りやすい雰囲気作りが大切である。」との考えから、昨年自社のホームページを立ち上げられました。内容は、会社案内・取扱商品・設備紹介といった内容ですが、今後は、ホームページを通じて、一般消費者と接点を持つことにより木材についての問い合わせから本格的なビジネスに発展することが期待されています。

写真5
     倉庫内部の様子

 「当社は建築業者への納材を業としているものの、売り先が廃業等で少なくなっている状況にあり、納材とともに工事を請け負うべきか悩んでいたこともありました。現在は、直接工事を請負うことはなく、売り先である建築業者と材木店である当社が、お互いに不足している部分を補って、共に繁盛する方法を模索しています。」とこれから進むべき会社の方針について語る津村専務。

 

最後にお店のPRです。大阪市福島区で創業60年の津村材木店です。

写真6
 木材加工に用いる昇降盤

リフォーム、新築に関する木材の加工(自動カンナ・昇降盤・超仕上げ加工機・手押し加工機など加工設備を取り揃えています。)販売、及び新建材・住宅設備機器の販売をしております。一般の方のお問い合わせも歓迎致します。新築 リフォーム介護福祉住宅 DIY材 木工材料、耐震改修、木材の種類相談、木材加工など、お気軽にご相談ください!

社長さん、専務さん長時間の取材、誠に有難うございました。


株式会社津村材木店
〒553-0006
大阪市福島区吉野4-13-24   
TEL 06-6468-3851          
FAX 06-6468-3853
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こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。
今回は、大阪府の北部、京都への玄関口である枚方市にやってきました。大阪市内からは高速を使えば、40分程度ですので、その距離ほど遠方とは感じません。国道から住宅街の細い道路を走っていくと、今回の取材先の株式会社丸滝材木店さんが見えてきました。それでは、早速、会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。応対して下さったのは、代表者の辻永(つじひさし)さんです。

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    枚方倉庫事務所内部
   枚方倉庫事務所外観  

 
  ㈱丸滝材木店さんの創業は昭和25年、現社長の父 辻庄兵衛さんにより個人商店(丸滝材木店)として創業されました。辻庄兵衛さんは元々、奈良県東吉野村滝野において家族とともに製材業に従事されたこともあり、大阪に出て材木店を創業するにあたり出身地である滝野という地名にちなんで「丸滝」という商号にされたようです。「東吉野村滝野には投石の滝と呼ばれる滝があり村の守り神とされていたことと、古来から滝には人が集まるとされていたことから商売繁盛を祈願してこの名前にしたと聞いてます。」と社名の由来について説明する辻社長。
創業当時は、大工・工務店に対して建築材料を販売する一般的な仲買さんの営業スタイルであったようで、現在の本社事務所のある寝屋川市香里本通町で営業をしていました。当初は、枚方・寝屋川周辺や地元奈良県の田舎建風の木造注文建築を行う大工・工務店への納材を専門にされていました。その後、時代の変遷により日本人の趣味嗜好も欧米化し、ライフスタイルが変化したことに伴い、建築する家も変化を余儀なくされます。昭和40年代から50年代にかけては高度経済成長期の真っ只中で住宅着工も大幅に増加しました。丸滝材木店さんは従来の田舎建風の木造注文建築とともに、その頃は建売やマンションの建築需要が旺盛であったため、それらを扱う業者への納材も行うようになりました。

ところが、平成に入ると好況であった木材需要も徐々に陰りを見せ始めます。平成10年を過ぎると住宅着工戸数も減少傾向となり、同時に木材業界にプレカット流通が台頭するにつれ、国産の良質な木材の販売環境が悪化することとなります。 
                                                                                                         そこで現状を打破すべくその頃より始められたのがリフォーム事業です。そのきっかけとなったのは友人からのリフォームに関する相談です。「平成初期に友人から築100年以上の平屋の古民家を建替えるとの話を聞きました。建替えすると様々な条件により、現況の建坪100坪が50坪へと半減してしまう。住宅メーカーに相談しても良いアドバイスを貰えなかったことで私に相談がありました。」と当時を振り返る辻社長。

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     現場への配達の様子

設計士も交え「スケルトンリフォーム」という方法での大規模改修工事を提案したところ、見事仕事として実現し、現在でも非常に満足いただいているようです。「友人からは本音で話が出来て、親身になってアドバイスしてくれた。建ててもらってよかった。これを本格的に仕事にしてはどうか。」と言われ、非常に自信を持ちましたと辻社長。これを契機に増改築工事の請負をすることとなりました。

 続いて、辻社長個人のプロフィールに移ります。

現社長の辻永さんは、昭和28年、大阪府寝屋川市生まれです。市内の小・中学校、枚方市の啓光学園高校を経て京都産業大学に進まれました。中学校からサッカーをされていたことで大学でもサッカー部に所属されました。

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                      辻永 社長

「大学はサッカーの強豪校で各校からセレクションでの入学者もいました。そんな中でも努力して公式戦に出場して得点を挙げることができました。そこで学んだことは人の才能というものはわからないということです。自分に限界を設けずに熱意とやり方を工夫することで人の能力は一定の水準まで伸ばすことが可能なのだと強く思いました。」と辻社長。学生時代に経験したことが仕事や人生においても教訓として生き続けているのですね。
 大学卒業後は、大手木材問屋で3年間経理を経験された後、愛知県の材木店で約1年半の修行の後、家業に戻られました。社長就任は平成18年1月とまだ最近のことです。


「なぜ住宅メーカーの家が選ばれてしまうのか?木材業界が木の良さをエンドユーザーに適切に伝えきれていないのでは?日本の風土に合致した在来木造住宅が選ばれないはずはない。

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         施工事例

国の政策も木材利用に対して追い風である昨今、地球環境や人の健康にも良く、唯一再生可能なエネルギー資源である木材の素晴らしさを業界を挙げてもっとPRする必要があると思います。」と木材利用が広がらない理由として、そのPR不足である点を指摘する辻社長。

 さらに、これからのお店について、「今後は一層、エンドユーザーから直接材木店に木材や住宅に関する相談が増えてくると思うので、自らが窓口となってしっかりとした説明を行い、エンドユーザーに満足いただけるような仕事をしたい」と、対一般消費者への仕事にはとりわけ意欲的な姿勢を示されます。

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      寝屋川市本社事務所

最後にお店のPRです。木は工業製品のように一様ではなく、自然素材であるところ、クセのあるところが面白い。樹種の適性により、住宅のどの部位にどのように利用すべきか適切にアドバイス致します。また、奈良県吉野の製材所を通じて国産の良質な木材を価格を抑えて販売することが可能です。取扱商品の品質、住まいに関する専門知識には自信を持っています。新築・増改築から木材や住宅資材に至るまで何でもご相談下さい。
(※近日中に自社のホームページを開設予定です。ご期待下さい。)
社長さん長時間の取材、誠に有難うございました。

株式会社丸滝材木店
〒572-0082                                          〒573-0094
(本社)寝屋川市香里本通町11-6    (営業所)枚方市南中振2-8-52
TEL 072-832-0450              TEL  072-831-1251
FAX  072-832-0451                           FAX 072-833-1042
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