4月8日☆新会館竣工☆(2013.4.15更新)

4月8日(月)新会館の竣工式を執り行いました。新仲買会館の計画にあたっては、木材業界のランドマーク、木材の良さを発信する木の殿堂を目指し建設されました。

          2階 通路         3階 大会議室

 

木造では、制約が厳しく通常の方法では建築することが困難な防火地域において、本物の木造ビルを建築することを最大のテーマに掲げ、構造材に耐火性能を有する㈱竹中工務店の「燃エンウッド」という部材を採用し、また、火災時における建物の避難安全性について十分な検証を行った上で仕上げ材に不燃木材ではなく一般の木材の利用を可能にするなど、国産材の良さを最大限に引き出した建物に仕上がりました。

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。
今回は泉大津市にやってきました。
日本で最初の毛布を生み出した、生産量全国一の毛布とニットのまちとして有名です。泉大津市は、大阪府の南部に位置し、大阪市内から約20キロ、関西国際空港から北に約15キロにあります。
歴史は古く、奈良時代には府中におかれた国の役所の外港として栄えていました。臨海地区からは、六甲山、淡路島を望むことができ、古くは和泉国府の港町として栄え、交通の要として天皇や国司、歌人、文人らの往来も多く、古くから随筆や紀行の中にも登場していたように、小津の泊、大津の浦で知られた白砂青松の名勝地でした。
和泉木綿の集散地となった江戸時代に繊維産業が興ると、これを地盤に明治以降毛布の製造が始まります。明治以降は、綿花の栽培から繊維産業の土台が築かれ、毛布を中心とする繊維産業都市として発展します。現在も国内産毛布においては実に9割超のシェアを占めるほどです。
港湾も昭和初期に近代化され、堺泉北臨海工業地帯の一角を占め、泉大津市では経済や雇用を活性化させるため、企業の誘致に積極的に努めてきました。そうした長年に渡る努力の甲斐あって、多くの企業が泉大津市へ進出し、事業を営んでいます。現在では、住友ゴム工業の泉大津工場をはじめとする大手企業の物流拠点としての性格も強めています。
西区の組合事務所からは、高速道路を利用して50分程で今回の取材先に到着しました。お話をお伺いしたのは、社長の八木輝行さんです。それでは、早速、会社の歴史から順にご紹介いたします。

①
事務所外観 倉庫外観


八木製材さんのルーツは、昭和22年に遡ります。創業者の八木廣治(ひろじ)さんは、かつて地元で大工をされていましたが、戦後の復興の最中、当時、製材業を主に行う材木店として八木製材㈲を設立されました。当時は、四国や和歌山まで足をのばし、原木を買い付けに行き、製材業を主にされていました。原木を製材するということは広大な敷地が必要になってくるかと思いますが、現在でも八木製材さんの敷地は広く、当時の名残りを感じました。また、原木を挽いた後に出る、端材やかんなくずを地域住民に燃料として販売したり、廃材を利用して銭湯を営業されていたことがあるなど、いわゆる多角経営に乗り出す八木廣治さんはかなりのアイデアマンであったことと察します。
八木製材さんは創業当時から、地元の大工・工務店など建築業者に対して、原木から製品化した木材を建築用材として販売する材木屋さんとして、創業者の廣治さんの経営手腕により発展を遂げていきます。ところが、時代が進むにつれ、原木を挽いて販売するという営業スタイルからの事業転換を迫られることとなります。先で述べましたが、原木を製材するには広大な敷地が必要であるとともに、多くの人員が必要となることから採算に見合わなくなってきました。そこで、昭和40年代頃より、創業からの事業であった製材業を徐々に縮小し、製品販売に特化していくこととなりました。
現在は、製材することは少なくなってきましたが、建築材料を建築業者に販売する木材業者として事業を行っています。代表者の変遷は、創業者の八木廣治さんから、八木義弘さん(2代目)、八木久詔(ひさつぐ)さん、そして現社長の八木輝行さん(4代目)へと移っていきました。

③
八木輝行社長

それでは、ここで現社長個人についてのお話に移ります。
現社長の八木輝行さんは、昭和29年、泉大津市生まれです。地元の小中高校から近畿大学を経て、昭和52年に八木製材さんに入社されました。主に、配達や営業を経験された後、平成4年に社長に就任されました。
趣味は、学生時代に野球部であったことから野球観戦、また、業界関係者や地元の友人とのゴルフであるそうです。将棋も好きで、新聞記事に記載の棋譜を見たり、詰将棋をされることもあります。


④
倉庫内部


八木社長の木材業を経営する上での考え方は、いかにして商品やサービスに付加価値をプラスして販売するかということです。「ただお客さん言われた通りに商品を配達するだけでは、材木店として必要な存在として認めてもらえることはないと思います。メーカーや問屋などの新商品・新制度の勉強会を通じて、今後必要と思われる知識を全従業員で身に付け、お客さんにいつでも最適な提案ができるようにしたいと心がけています。」と幅広い知識習得の必要性について力説する八木社長。
最近では、社長、従業員、そして工務店を交えての勉強会を実施しました。近年注目されている太陽光発電、グラスウールなど断熱材、水廻り機器、長期優良住宅をテーマに実施し、お客様の要望に対応した適切な提案ができるように専門知識の向上に努めています。

⑤
事務所内の様子

最後に会社のPRです。泉大津市の八木製材㈲です。住まいに関することならどんなことでもご相談に応じることができるよう、専門知識の豊富なスタッフがお客様個々のニーズに最適な商品やサービスをご提案致します。また、CADを扱うことができるスタッフが、設計図面から木拾いや積算を行うことから、新築・リフォームにおいても迅速・丁寧に対応致します。

住宅、木材に関してご相談があれば、是非ご連絡願います。八木社長、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。
(2016.12.6更新)

八木製材有限会社
〒595-0023
泉大津市豊中町3-1-20
TEL 0725-32-5564
FAX 0725-23-2419
会社の詳しい情報はこちらHPはこちら

前回10月中旬の現場報告から4カ月がたちました。
2月中旬に周りを囲っていた足場が外され、会館の形をはっきり見る事ができるようになりました。

        東側からの撮影           正面玄関

 

        西側からの撮影

 

3月下旬の会館完成まで、残すところ1ヵ月となり、現在現場は急ピッチで作業が進んでいます。

多い時で約100名の職人さんが作業されているそうです。

  

 

 

仲買会館のシンボル的存在【桜の木】も、工事で多くのストレスを受けましたが、現在も元気に育っています。

4月の引き渡し頃には、満開の桜が咲きそうです。

次回の現場報告では、桜の状況も合わせてご報告させていただきます。

楽しみですね☆

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。
今回は大阪市淀川区にやってきました。
ところで、今回は、大阪市内の地盤について触れたいと思います。
皆さんも、大阪市内の土地が軟弱であることをご存知かと思いますが、歴史的には、古代においては市内の大部分が海で、現在の淀川区周辺も大阪湾の海中であったと伝えられています。やがて、淀川・大和川・猪名川などの河川が運ぶ土砂が堆積して、現在の陸地が形成されました。すぐ近くの現在の梅田駅周辺も沼地を埋めた土地ということで、かつては「埋田」と呼ばれるなど、こうした理由から、大阪市内は一般的に地盤が軟弱であるといわれています。
近年では、淀川区は昭和39年の東海道新幹線の開通に伴う新大阪駅の設置、地下鉄御堂筋線の延伸により、大阪を代表する交通の要衝として栄え、高層ビルが林立し、副都心と呼ばれるまでに発展しています。
取材先の三国本町付近は、住宅や小さな商店もあり、マンションが建設予定の大規模な更地も見られるなど、住宅地としてのニーズの高さも感じられます。
西区の組合事務所からは、車で30分足らずで今回の取材先に到着しました。お話をお伺いしたのは、社長の吉村昇一郎さんです。それでは、早速、会社の歴史から順にご紹介いたします。

倉庫・事務所外観

吉村材木店さんのルーツは、昭和23年に遡ります。当時の日本は戦後の復興の最中、現社長の祖父、吉村藤一さんが材木店での丁稚奉公の後、大阪三国に材木店を構えたことが始まりです。
創業当時から、地元の大工・工務店などの建築関係の業者に対して、建築用の木材の販売する、地域に密着した材木屋さんで、現在でも営業形態はほぼ変わりません。
昭和38年4月に、個人商店から法人に改組され、現社名である㈲吉村材木店となりました。
会社設立後、多くの取引先業者にも恵まれたことから、順調に業績を伸ばした中、平成元年に現社長の父、吉村勝彦さんが2代目社長に就任されます。
その後、平成8年10月には現社長の吉村昇一郎さんが入社されます。入社後は配達等を経験された後、平成15年頃から木材業のノウハウを活かし、リフォーム業を開始されるなど対応する業務の幅を広げられています。平成22年4月に3代目社長に就任され、現在に至ります。

吉村昇一郎社長

それでは、ここで現社長個人についてのお話に移ります。
現社長の吉村昇一郎さんは、昭和43年、大阪市生まれです。地元の小中学校、高校を経て、大阪経済大学 経営学部を卒業されました。卒業後、帝人商事㈱に入社され、工業・産業資材部門に配属されました。約5年間会社員を経験された後、家業である吉村材木店に入社されました。
趣味の話しに移ると、「色々やってみたりするものの、長続きするものがなくて‥‥‥」とのことですが、これまで、海外旅行に20ヵ国ほど行った経験をお持ちということで、代表的なものであるようです。
また、吉村社長は、家業に戻られた後、地元の若手経営者で構成されている、㈳豊中青年会議所(略称:豊中JC)に40歳まで入会されていました。こちらで得た経験が現在でも自分の人生にとって大きな財産となっていると話されていました。集団指導力に関する研修や同志意識を持つ仲間との交流を行い、厳しさの中にも明るく楽しい活動を通じて、異業種の経営者の方々との人脈も広がり、自社の経営においても当時の経験が活かされているとのことでした。

倉庫内部 整理された商品

吉村社長は、これからの材木店は商材を通じて、一般消費者のニーズと大工・工務店とを調整するコーディネーター役とならなければならないとの考えをお持ちです。「材木店は、木材の専門家であるので、当然の事ながら、一般消費者や建築業者よりも建築用材として利用する木材の知識は豊富である。しかし、ただ知識が豊富なだけでなく、これからは、時には、建築業者と一般消費者の打合せにも同席し、多様化するニーズを正確に汲み取り、そのニーズに合致した最良の商材を提案する能力が必要である。」と説明されていました。つまり、消費者の要望をヒアリングして、相手が喜ぶような形で提案すること、一言でいえば、営業力が求められていると言えるのではないでしょうか。

細かい加工にも対応致します

今までの材木店は、どちらかといえば待ちの商売で、特に営業をしたり、提案をする機会が少ない業種でした。ところが、現在は、待っているだけでは必要とはされません。「少しでもお客さんの理想に近づけるため展示会やメーカーの話を聞きにいくなどして、アンテナを張り巡らして最新の情報を得るように心がけています。」と吉村社長。

最後に会社のPRです。
大阪市淀川区の㈲吉村材木店です。創業以来、建築材としての木材販売に携わっている経験から、消費者個々のニーズに最適な木材・建材をご提案致します。なお、新築・リフォームについてのご相談についても、信頼できる建築業者をご紹介いたしますので、住宅に関するお悩みがあれば、是非ご連絡願います。

吉村社長、ご協力いただき、誠に有難うございました。

有限会社吉村材木店
〒532-0005
大阪市淀川区三国本町2-6-26
TEL 06-6391-4002
FAX 06-6393-0588
会社の詳しい情報はこちら

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。
今回の取材先は、フローリング材を専門に取り扱う材木屋さんです。
ということで、最初にフローリングについて、少し勉強したいと思います。

フローリングとは、床を覆うための木質系の素材、及びそれらを用いた床のことです。一般の住宅の他、公共施設でも広く用いられています。日本農林規格ではフローリングを、木材を継ぎ合わせた一層のみで構成された「単層フローリング」と下地材と化粧材を張り合わせた「複合フローリング」に分類しています。
まず、単層フローリングは、ブナ・サクラ・ナラ・イタヤなどの一枚板により構成されている自然素材です。その為、空気中の水分や湿気により伸縮が生じやすく、節に近い部分や乾燥が不十分な物はねじれたり反ったりすることがあります。一枚板なので傷んだり、汚れたりしたときに表面を削り、塗装し直すなどして修補できます。学校の体育館や教室・スポーツ施設などの公共施設に多く使われ、度々貼り替えるよりも安く済む利点があります。

一方、複合フローリング類は、ブナ・サクラ・ナラなどと針葉樹合板で構成されており、膨張や収縮、ねじれや反りなども生じにくい特長があります。
塗装品もあり、短期間での施工が可能で、耐用年数をさほど必要としないマンションや一般家屋などに多く、遮音フローリング、床暖房用フローリング、耐水フローリング、防虫フローリングなど用途に合わせて利用されます。

西区の組合事務所からは、高速道路などを利用して、1時間程で今回の取材先に到着しました。お話をお伺いしたのは、社長の當舎弘造さんです。それでは、早速、会社の歴史から順にご紹介いたします。

           倉庫・事務所外観

太洋木材工業さんの会社のルーツは、大正時代の初期に當舎栄吉さん(現社長の祖父)が大阪市・四ツ橋南詰で製材業を始めたことに遡ります。アメリカのイーガン社からこの当時としては極めて大型の42インチ(約1m強)帯鋸機(バンドソウ)を購入して、これを使いこなしたことが大阪木材業外史(大阪木材業組合、㈱林業新聞社共編)に製材業の勃興の基と記されています。当時の屋号は、合名会社木宗製材所という名称でしたが、この会社に現社長の父 當舎一雄氏も学校卒業後すぐに入社され、栄吉氏とともに、現在でいえば高耐久木材といわれ南洋熱帯林に自生する樹種、紫檀(したん)・黒檀(こくたん)・花梨(かりん)等を専門に商いし、数回は買い付けに現地にも行かれたようです。これらの材料は主に座敷机や家具に使用され、関東大震災(大正12年)の折には大量のちゃぶ台用の要望で価格が高騰しましたが、栄吉氏はあえて元の価格で販売され多くの人から感謝されたという逸話もあったようです。

       事務所内の様子

その後の太平洋戦争下、昭和17年には木材統制法により会社解散を余儀なくされ、戦後、昭和21年に、當舎一雄氏は、戦時統制下の大阪地方木材㈱で勤務した時の同僚と、太洋木材工業株式会社を設立、取締役社長に就任されました。当時の会社の事業内容は、広葉樹フローリングの製造及び販売で、この製造時の原板等は、このシリーズに前回掲載された㈱山王の岡田社長の父君岡田勝利氏から北海道材を購入し製造していたようです。また、當舎一雄氏は、昭和30年4月には同業者とともに関西フローリング協会を設立、会長に選出され、以後30年間業界のリーダーとして活躍されました。昭和58年には、勲5等瑞宝章を受章されました。

昭和45年3月には、當舎弘造氏が入社、平成3年1月に取締役社長に就任され、前出の協会の3代目会長を平成8年から11年まで務め、現在も副会長をされています。現在は、製造は行っていませんが、文教施設・福祉施設・集合住宅から一戸建住宅のフローリング・床下地の施工・販売を主な事業内容としています。

         當舎弘造社長

それでは、ここで現社長個人についてのお話に移ります。
現社長の當舎弘造さんは、昭和22年、堺市生まれです。地元の小中学校、私立明星高校を経て、同志社大学に入学。卒業後、太洋木材工業㈱に入社されました。学生時代に音楽のクラブに所属されていたことから、ブルーグラス・カントリー・ウェスタン音楽が趣味とのことですが、現在でも気の合う友人数人と一緒にアコースティックのバンドを組んでライブにも出ています。

経営にあたっての持論は「ブレない」ことだそうです。これは法隆寺・薬師寺の宮大工として名高い 故西岡常一氏をモデルにした映画「鬼に訊け 宮大工西岡常一の遺言」(山崎佑次監督)の中で、寺院再建の際に多くの著名な学識関係者が持論を持って改修方法を押付けても、西岡氏が現場でたたき上げた豊富な経験と勘に基づき、これに堂々と反論し、法隆寺等の数百年を経た建築物を最善の方法で守ろうとする姿に感動し、会社の経営においても人生においても、様々な状況の中で判断に迷うことも多いが、最後は自分の信念を貫いていきたいと思うようになったと感じられたようです。

『この映画は昨春封切られましたが、同じ年の夏に偶然訪れた信州の八ヶ岳で「仏教伝来」や「シルクロードの風景」を描いて有名な故平山郁夫氏のアトリエ跡の平山美術館に立ち寄ったところ、生前のエッセイ集がまた「ぶれない」というタイトルであり、この2人の作品は偶然にも奈良の薬師寺で観ることができるが、とにかくこの言葉に出会えた一年でした。』と振り返る當舎社長。

          モデルルーム外観         フローリング施工事例

文教施設や集合住宅におけるフローリングの施工販売が太洋木材工業さんの主な事業内容であることは先で述べましたが、中でも無垢材を使用した商品の提案に自信を持っており、実際に、その特性・効果(質感・耐久性・癒し・消臭・調湿・調温・抗菌・防虫等)を期待して教育・福祉関係の施設に採用される事が増えてきているようです。同社の深井倉庫併設のモデルルームは、様々な天然素材のサンプルを貼り造られており、目で見て、手で触れて、本物の良さを実感することができます。

最後に会社のPRです。
フローリング材を専門に取り扱い、会社の標語に「ユーザーの笑顔が映る床づくり」とあるように、お客様にとっての最良の提案をさせていただきます。また、床関係だけでなく、ウッドデッキ工事・内外装壁材・天井材の販売・乾式二重床工事・OAフロア工事・ネダフォーム工事なども行っております。詳しくは同社ホームページをご覧下さい。

フローリングのことなら、内外に拘わらず殆ど全ての材料の事がわかるようにしていますのでどんなことでも一度ご相談下さい。

當舎社長、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。

太洋木材工業株式会社
〒599-8236
堺市中区深井沢町3409-2
TEL 072-276-1600
FAX 072-270-4968
会社の詳しい情報はこちら    →HPはこちら

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。

今回の取材先は、広葉樹を専門に取り扱う材木屋さんです。

一般的に、建築用材として用いられる木材は、スギ・ヒノキ・マツなどの針葉樹が主に取り扱われていることは皆さんもご存知のことかと思います。
広葉樹は、その針葉樹との対比で、雑木(ぞうき、ざつぼく)とも呼ばれています。
人の手によって植林、管理されたヒノキやスギといった建築材料としての利用機会や利用価値の高い針葉樹を中心とした樹木に対して、それ以外の雑多な樹木を指すそうです。ですから、雑木により構成された林を雑木林と呼びます。日本の雑木の多くは落葉するクヌギやコナラなどを主とした広葉樹からなり、多くは幹がまっすぐではなく、曲がっておりかつ枝分かれが多いという特徴があります。このため、古来より建築の主材料としては使用される機会は少なく、そのため雑木と呼び習わされてきました。腐りにくいクリなどは基礎材として使用されることはあり、その他の雑木も適材適所に建築材料として利用されるものの、構造材としてはヒノキ、スギなどの針葉樹が使用されるのが一般的で、使用量でははるかに及びません。

雑木と呼ばれる一方、広葉樹には、ケヤキやナラ、タモといった高級家具に用いられる樹種もありますので、この呼称が適切かどうか私自身は疑問に思います。

 

   平林倉庫外観(大阪市住之江区平林北)

西区の組合事務所からは、地下鉄などを利用して30分足らずで今回の取材先に到着しました。お話をお伺いしたのは、社長の岡田日出男さんと製品営業本部部長の角谷浩司さんです。それでは、早速、会社の歴史から順にご紹介いたします。

山王さんの会社のルーツは、昭和21年11月の山王木材株式会社(社長・太田欽一氏、専務・岡田勝利氏(現社長の父))の創立に遡ります。創立以来、現在に至るまで、広葉樹をメインに取り扱う材木屋さんとして業界内でもよく知られていますが、当時は、北海道産の広葉樹(タモ・ナラ・カツラ・カバ等)の原木・製品を家具及び建築関係用材として販売する木材業者でした。

昭和33年には、今では珍しくなくなった新建材の将来性にいち早く着目し、建材部を設置するとともに、40年頃からは、南洋材(ラワン)の原木の取扱いを開始するようになりました。

       岡田社長(左)と角谷部長(右)

昭和45年に岡田勝利氏が二代目社長に就任した後、昭和40〜60年代は、資本金を増資し、西日本を中心に支店・営業所を各地に展開するなど会社の発展が続いた時期でした。昭和59年には、岡田充弘氏(現社長の兄)が、3代目社長に就任され、その後、時代が平成に入ると、平成12年には山王木材㈱から現社名の㈱山王に組織変更しました。その2年後の平成14年には、現社長の岡田日出男氏が社長に就任され、現在に至ります。

それでは、ここで現社長個人についてのお話に移ります。

現社長の岡田日出男さんは、昭和18年、大阪市大正区生まれの住吉区育ちです。地元の小中学校、堺の府立鳳高校を経て、関西学院大学に入学。卒業後、山王木材㈱(当時)に入社されました。趣味は学生時代に山岳部であったことから、山歩きです。また、大阪木材界の青年経営者の団体である大阪木材青年経営者協議会の会長をかつて務められた経験もお持ちで、業界内においても顔が広いことで知られています。

 

         イエローポプラ         ブラックウォールナット

 

昭和21年の創立以来、「広葉樹の山王」として認められる存在となった山王さんですが、その間、原木から製材品、最近では一部完成品と姿は変わっても扱う商品の中心が広葉樹であることは変わりありません。
長い社歴の中で海外の有力な生産者との提携も整い、山王さんは広葉樹のオンリーワン企業を目指しておられます。現在、主に取扱いのある北米広葉樹は、生産者が永続的に生産可能な手法を採用し、人間に優しい木材を地球にも優しい方法で生産されておられます。

         ブラジル産イペ材

「北米産広葉樹」(イエローポプラ、ホワイトアッシュ等)の取扱高において、日本で有数の輸入業者でありながらも、永年、培ってきた経験を生かし、品質・安全性を追求し、さらにグリーン購入法にも適合した、環境保全に配慮した材を積極的に取り扱うなど、環境問題についても関心を常に持ち続けています。取扱商品の品質の高さはもちろん、地球環境にも配慮することが、これからの企業の社会的責任とする考え方を示されています。

今後について、既に、大手住宅メーカーや家具メーカーといった安定した販売先をお持ちの山王さんですが、岡田社長によると、これからは、販売先を西日本にとどまらず、関東地方、とくに東京方面までマーケットを開拓していきたいとのことでした。

最後に会社のPRです。

これまで、広葉樹にこだわり、広葉樹の良さを一番知っている会社であると自負しています。取扱商品は、北米産広葉樹・ヨーロッパ材・中国材・南洋材・その他広葉樹全般、そして住宅輸入建材・各種合板・住宅資材等で、カット加工も致します。
商品は、日本の風土に合わすため、一定期間桟積み養生し日本国内自社工場での一貫生産で多種多様なニーズに対応させていただきます。
詳しくは同社ホームページ(http://www.sannoj.co.jp/)をご覧下さい。
少量のご注文でも対応可能です。また、各種無垢フローリングも取り揃えております。
広葉樹のことなら、どんなことでも一度ご相談下さい。
岡田社長、角谷部長、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。(2012.12.14更新)

株式会社山王
〒559-0011
大阪市住之江区北加賀屋2-11-8-201
TEL 06-6681-2321
FAX 06-6681-5013
会社の詳しい情報はこちら    →HPはこちら

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。
「あなたの街の材木屋さん」は今回で第101回目ということで新たなスタートを迎えました。これからも大阪府内を中心に色々な材木屋さんを紹介していきますのでよろしくお願いいたします。
さて、材木屋さんといってもこれまで取材させていただいた中にも色々なお店がありました。多くは大工・工務店などの建設業者に販売する建築材料としての木材を取り扱うお店でしたが、中には、名栗加工専門店、空調機器の枠材、外構やエクステリア材、天井板やテーブル用材を扱う銘木屋さん、と実にたくさんの種類のお店がありました。今回は、梱包用の木材を専門に取り扱う材木屋さんです。主には、重量のある機械製品(重量物)の輸送に利用する梱包用木箱、また、倉庫内の作業で用いる木製パレットの製造用の木材をメーカーや梱包業者、木箱業者に納める仕事をされる材木屋さんです。今回はどんなお話になるのでしょうか。
大阪市西区の組合事務所からは、車で10分少々で今回の取材先に到着しました。
それでは、会社の歴史から順にご紹介いたします。

倉庫外観

上田木材さんは、昭和25年8月、上田静夫さん(現社長の祖父)により個人商店として創業されました。上田静夫さんは岡山県備前市出身で、岡山県から上阪、木材店で修行された後独立し、大阪市天王寺区に本社設立。会社の称号を「備前」としているのも、出身地に由来しています。建築材の方も多少は取り扱っておられましたが、創業当初より、梱包用の木材を主力商品として営業を開始しました。
昭和28年12月には、個人商店から株式会社に改組され、現社名の上田木材株式会社を設立(代表取締役は上田静夫さん)されました。その後、昭和30年代には、高度経済成長期とも重なり、取扱い数量や会社の規模も徐々に拡大していきました。
平成5年2月には、2代目社長として上田茂さん(現社長の父)が就任されました。

所狭しと商品が並ぶ倉庫内部

その頃も梱包用の木材を専門として取扱い、創業時と営業形態は変わりませんでした。
平成10年から、現社長の上田益稔さんが家業に戻られ、平成17年に前代表の上田茂さんの急逝により、上田益稔さんが3代目社長に就任することとなりました。

それでは、ここで現社長の上田益稔さん個人についてのお話に移ります。
その話題に移るや否や、上田社長から、私に対して突然の質問です。僕の名前、「益稔」は何て読むか分かる? 特に自信もなかったのですが、直感を元に「よしなり」さんと読むのですか? と返事したところ、何と正解しました。社長さん曰く、初対面で正確に答えられたのは私が初めてとのことです。

上田益稔社長(右から2番目)と従業員の皆さん

上田益稔さんは、昭和47年、大阪市天王寺区生まれです。地元の小学校、中学校を経て、私立上宮高校に進まれました。高校まで自宅から歩いて10分圏内のところに通学されていたこともあってでしょうか、大学は親元を離れ、高知大学教育学部に進まれました。大学卒業後、高知県中村市(現、四万十市)の就職先を紹介されたことで大変迷われたようですが、ご家族の「できれば就職先は、大阪へすぐに戻ってこられる陸続きにしてほしい」との強い要望があり、滋賀県の生活協同組合に就職。約5年の勤務を経て、家業に戻られました。

趣味は、元々、自然と触れ合うことが好きなようで、キャンプ、カヌー、サーフィン、スノーボードなど活動的な方です。
また、最近では、先代の影響から始めた「修験道」に取り組まれています。修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰ですが、「家業を手伝うようになった当時は、経営者である父と仕事に関して衝突することが多かった。しかし、父亡き後、勧められて始めた修験道だったが、奈良県の吉野や洞川に行き、また大峰の山道を抖櫢(とそう)すると、自身が経営者となった今、当時の父の経営者としての気持ちが徐々に理解できるようになり、なぜ父がその活動をこよなく愛していたかがよく分かりました。」と修験道を通じて、亡き先代について述懐される上田社長。

作業の様子 製材加工の様子

先代の急逝により、30代半ばと若くして経営者となられた上田社長。社長就任当初は、その責任の重さから大変な苦労もあったかと察しますが、まず一番に取り組まれたことは、新規開拓ではなく、既存の販売先や仕入先との関係を一層強化することでした。「当社の仕事は、もちろん販売先も重要ですが、何といっても商品を安定的に供給してもらえる仕入先の存在が欠かせません。しっかりとした仕入先があってこそ、販売先の要望にも対応できる。その信頼関係の構築が何よりも重要と考え、既存のお客さんとの関係を密にするよう心掛けました。」と、自社の経営について考え方を述べる上田社長。

国産ヒノキ材 ラジアタパイン

ところで、梱包用材に利用する木材はどんな樹種なのでしょうか。上田木材さんでの取扱製品は、住宅部材にも用いる国内産の杉、ヒノキが全体の約4割、ラジアタパイン(NZ松・チリ松)と呼ばれる外国産のマツ科の樹種が約6割を占めます。「成長が早く、安定供給が可能なラジアタパインなしでは、現地挽・内地挽を問わず、この業界はあり得ない。しかし、今は様々な要因から国産材需要が増加し樹種が入り乱れている。梱包材にも適材適所がある。」と上田社長。
最後にお店のPRです。大阪市浪速区で梱包用の木材を専門に取り扱う上田木材株式会社です。材料の供給から、製品の製造に至るまで、木箱・梱包用木材の専門家としてお客さまのお役に立てるよう誠実に対応いたします。木箱・梱包用の木材についてご質問などあれば、是非ご相談ください。

上田社長、従業員の皆さん、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。

上田木材株式会社
〒551-0023
大阪市大正区鶴町1-1-50
Tel 06-6556-3500
Fax 06-6556-3600
会社の詳しい情報はこちら

10月7日㈰、近畿中国森林管理局、毛馬桜之宮公園周辺において、水都おおさか森林の市実行委員会(近畿中国森林管理局・大阪府・㈳大阪府木材連合会他)主催で、「水都おおさか森林の市」が開催されました。
「森林の市」は今年で26回目となるものですが、本イベントは、森林の恵みや木にふれあいながら森と人とのつながりを感じてもらい、森林の大切さ、林業の役割、農山村の現状について理解を深めることで、大切な森林を次世代に引き継いでいくことを目的として、木製品の展示・販売、地域の特産品などの試食・販売、木工工作などの体験コーナーなど、親子で楽しめる催し物が盛り沢山に用意されています。今年の森林の市は、58団体から出展があり、当日は天候に恵まれ穏やかな陽光の下、来場者数は約一万人を記録しました。
 今年もバラエティーに富んだ出展団体が並び、森林の環境保全についての展示や木製品や地域の特産品の展示・販売。また、自然素材を使ったクラフト教室や小さな子どもが木と触れ合う木のおもちゃのコーナー、丸太切り体験など多彩な催しが繰り広げられていました。

森林の市①
多くの来場で賑わった子ども木工教室

会場を盛り上げるプログラムも、スタンプラリー(苗木、木製品をプレゼント)などのほか、キッズボートやドラゴンボート乗船体験も大人気でした。当組合は、昨年度から企画した、組合員の方々に出品いただいた木工作品の展示・販売をはじめ、毎年好評の「子ども木工教室(椅子作り)」や「樹種当てクイズ(正解解答数に応じて景品をプレゼント)」を実施する等盛り沢山な内容でした。

 当日は幹部をはじめ、本イベントへの出展と企画を担当する開発研究委員の方々や有志役員の協力も得て、成功裏に終えることができました。
 「子ども木工教室」では、毎年木工体験を期待し訪れてくれるリピーターの方もおり、また、今年度は組合のテントがイベント会場の入口近くに配置されていたこともあってか、非常に多くの人が訪れ、長い行列ができ、工作をする子どもたちだけでなく、順番を待っているたくさんの子どもたちからも強い熱気が感じられました。
 一方、木工作品の展示・販売や樹種当てクイズにも多くの来場があり、木でできたおもちゃや雑貨を手にして買い物を楽しむなど大人から子どもにまで好評であったように思いました。

森林の市②
  木工作品の展示・販売の様子

今回のイベントでは、一般消費者と接する中で木に対する正しい知識や特長を伝える機会の必要性を再認識しました。「スギの木?あぁスギ花粉の…」、「節はなぜ木にできるの?…」など、対話の中で、子どもから大人まで様々な体験を通じて、木についての疑問点などに答えていく中で、こうした機会を通じて、将来的な木材利用の拡大に向けて、一般消費者に対して木の良さや正しい知識を地道に説明していくことが必要であることをより一層感じました。

     (総務課 倉橋 記)(2012.11.01更新)

前回の更新から1ヵ月半ほど過ぎました。

基礎駆体工事が終わり、9月中旬頃からは掘削土砂を戻し、続いて土管配管、金物仕込み作業が行われ、その上にコンクリートを流し込み固める作業を、9月末頃までの間に行いました。 

10 月に入ると、今度は型枠組立、鉄筋組立、外部足場組立、コンクリート打設、養生の作業にとりかかり、中旬頃には建物の外観が少しずつ完成してきました。

建物の中央付近(右下写真)では、現在内部階段の設置作業が行われています。

 

12月の上棟式に向けて、新会館の工事は順調に進んでおり、次回の更新では、2階フロアの駆体工事の現場報告を予定しております。

 

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。
「あなたの街の材木屋さん」は今回で記念すべき第100回目を迎えました。これまでに取材に協力いただきました社長さんと読者の皆さまには大変感謝申し上げます。今後とも末永くご愛読いただきますようよろしくお願い致します。

         中杢の天井板

 杢目を立たせる「うづくり」に用いる道具

今回は摂津市の鳥飼銘木町にやってきました。ここ鳥飼銘木町には、大阪銘木協同組合という組合があります。大阪銘木協同組合は、大阪の銘木販売業者の方にとっては中心的な存在で、全国各地の原木や製品など各種銘木が一堂に集荷展示され、その組合員及び取引契約者を対象に市売りにて販売する銘木専門市場であるとともに、銘木の普及宣伝等の広報活動も行われています。取材当日は、偶然にも市日で、銘木組合の倉庫には、色々な種類の銘木が所狭しと並べられ、実際にセリや取り引きが行われている光景を目にし、多くの業者の方が真剣な眼差しで商品を見定めている様は迫力を感じました。
ところでここでおさらいですが、「銘木」という言葉について、「銘木」とは部屋の内装に用いられる木材であることを確認させていただきます。部屋の中で目に見える木材で、天然の美しさをもったものであれば、樹種の如何を問わず、それらは全て銘木と言われています。銘木の持つ、色、つやの美しさと杢目の妙、木肌から醸し出される温かさは、日本の木造建築、とりわけ和室にはなくてはならないものです。
今回の取材先は銘木屋さんでも「天井板の老舗」として、天井板を専門に取り扱われているお店です。取材文書を通じて、お店の紹介とともに、写真を交えて美しい天井板の魅力をお届けしたいと思います。

 

それでは、今回の取材先である泉源銘木さんについて、お店の歴史から順に進めていくことにします。お話をお伺いしたのは、店主の中出尚(たかし)さんです。

 
            社屋外観            事務所内の様子

泉源銘木さんは、昭和26年、大阪・横堀の坐摩神社の近くで創業されました。創業者は、現店主の祖父、中出源光さんです。お店の名称「泉源」の由来は、源光さんが大阪和泉のご出身であったことから、出身地から「泉」と名前から「源」を一文字ずつとって名づけたとの説があるようですが、定かではありません。当時から、現在に至るまで、杉の天井板を専門に取扱い、現在までその営業形態はほとんど変わりありません。
創業地の大阪・横堀は、江戸時代、大坂城築城に際し、西横堀川が開削されて以来、築城と町の開発に必要な木材が、土佐を中心とした諸国から集められ、木材流通業の中心地として材木商の集団が川筋に形成されていたと伝えられています。時代が昭和に移っても、横堀地区には、いわゆる屋形屋さんとともに、銘木街も活況を呈しており、各専門店であった床材店、天井板屋、雑木屋、磨丸太屋等は銘木店という名称に一本化され、銘木店という言葉が一般化していきました。昭和30年代頃から、これまで高級木材というイメージであった銘木が、加工方法の向上、接着や塗装技術の進歩、木工機械等の向上で、銘木の大衆化が表面に打ち出されました。そのような時代の変化を受け、横堀の銘木店も、今後の営業方法を模索する中で、大阪銘木協同組合とともに全面的な移転案が論議され、昭和40年頃、阪神高速道路が横堀川の上に設置されることとなり、多くの銘木店が摂津の鳥飼銘木町に移転し、同時期に泉源銘木さんも移転されたというわけです。その後、店主は先代の逝去により、昭和56年に中出昌男さんへ、そして、平成16年に現店主の中出尚さんとなりました。

        中出尚さん

それでは、ここで店主の中出尚さん個人についてのお話に移ります。
現店主の中出尚さんは、昭和37年創業地の大阪・横堀生まれです。小学校まで横堀で過ごされ、お店の移転とともに摂津市に移られました。昭和59年3月京都産業大学を卒業後、同年4月、東京の大手銘木店に入社されました。3年間の修行の後、家業に戻られました。
趣味は、家業に戻られた頃から始められたというテニスです。休日に何をすべきか考えた時、友人と一緒にテニススクールに通うようになったことがきっかけです。当初はほんの習い事程度に思っていたのが、今では、色々な大会に出場されたり、銘木団地内のテニスクラブの幹事や摂津市テニス連盟の理事を務められるなど活躍されています。

 

泉源銘木さんが天井板の専門店であることは先で説明しましたが、お店で扱われている樹種は全て国産の杉です。その理由は、天井に貼るので軽くて加工しやすい材であること、そして杢目が美しく装飾的に最適であること。これらの特長がある材が国産の杉材なのです。

       屋久杉杢天井板         杉柾天井板        出荷を待つ長尺材 

 

最後にお店のPRです。「天井板の老舗として天井板を専門に取り扱っています。世界遺産の屋久島の屋久杉杢天井板、霧島杉杢天井板など、現在では原木を伐採されない貴重な杉の稀少な杢柄の天井板や、数寄屋造りや茶室に使用される杉中杢天井板、秋田杉天井板、ヤナセ杉杢天井板を取り揃えております。その他に建具材としての柾板や腰板、戸板、厚板、棚板なども豊富に揃えております。建築用材だけでなく、茶托や花台など趣味で工作される方への杉材やテーブルの天板もございます。親切丁寧をモットーに掲げて営業しておりますので、どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。」

中出さん、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。

泉源銘木
〒566-0063
摂津市鳥飼銘木町8-10
TEL 072-654-5863
FAX 072-654-8731
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