今月のあなたの街の材木屋さん

第68回:株式会社紙庄(堺市堺区寺地町東)

こんにちは!三平です。

今回の訪問先は堺市堺区寺地町東2-2-20の(株)紙庄さんです。応対して下さったのは社長の紙野滋さんです。「ものの始まりみな堺から」とよく言われるように鉄道・鉄砲・自転車・線香等々堺発祥のものがたくさんあります。

店舗外観
↑ 店舗外観
大阪よりも商人の街としての歴史が古くかつ文化的だった環濠都市・堺は数年前に政令指定都市になりました。今でも堺の人々のプライドは極めて高く「大阪なにするものぞ!」の気概があります。かく言う三平も実は堺の大浜生まれなんです。
紙庄さんの事務所に入る前に倉庫内を拝見したのですが材木がほとんどありません。合板と板類が少しあるだけです。その辺の事情から伺いました。「15年ほど前はたくさん材木を置いていたが今はほとんど在庫をしていない。近隣に南港や美原の木材工業団地もあるし、在庫する必要がないからね」との返事でした。流通が変ってしまったのでしょうね。

整頓された倉庫内
↑ 整頓された倉庫内

早速、紙庄さんのルーツからインタビューを始めました。
創業者は現社長の祖父に当たる紙野庄之助さん、大正7年に大阪西区の西長堀で開業されました。屋号の「紙庄」は紙野庄之助さんの名前から名付けました。元々、紙野家は堺の建具屋さん(屋号は紙伊)でした。庄之助さんの父親は宮内庁御用達の名職人だったそうです。職人さんは往々にして商売が下手です。毎月、毎月、材木屋さんが木代金の集金に来る。支払に往生している親父の姿を見ていた庄之助さんは「自分が材木屋になったら親父も苦労することがなかろう」と一念発起して材木屋さんに奉公に上がり、修業の末独立した。という話を父親(紙野省一氏)から良く聞かされました、と紙野社長。
大正14年に大正区の小林町に移転、太平洋戦争を経て昭和23年に同所にて滋さんの父上紙野省一氏が再開業、昭和26年に法人改組しました。同年には豊中市の曽根に豊中営業所を開設、昭和36年に現在の堺市寺地町に別法人として堺庄木材鰍設立、同40年には堺庄木材を(株)紙庄が合併、本社を豊中に移しました。

社長と奥様
↑ 社長と奥様

中々、滋さんが登場しませんね。代表者の流れは、紙野庄之助→紙野省一→羽渕俊介→紙野徹→紙野滋の順です。3代目の社長である羽渕氏は紙野省一氏の奥方の妹婿で木材のプロとして貴重な存在であり、退職後の今でも各方面で活躍されています。4代目社長の紙野徹氏は滋氏の実兄に当たります。滋さんが歴史ある紙庄の社長に就任したのは平成20年10月1日、つい最近のことです。
5代目社長の紙野滋さんは昭和33年1月28日、大正区の小林町で生まれました。4080グラムの大きな赤ちゃんだったそうです(本人の弁)。大学卒業後は港木材で2年半修業をされました。当時の港木材の社長は松山泰造さんです。昭和58年に家業に戻り、同60年に愛妻恵美(よしみ)さんと結婚しました。

飛田のトイレ
↑ 飛田のトイレ

紙庄という材木屋さんは木材業界では有名なお店です。創業者の庄之助さんや2代目の省一さんは業界各方面でいろんなお世話をされ、その人望も厚く、「紙庄」と言えばほとんどの業界人が「ああ、紙庄さんか」というほどです。それに大阪商人の伝統というか良き風習と言うか、「暖簾分け」して独立された方が大勢いらっしゃいます。地方から学校を卒業して丁稚に上がり、「紙庄」で修業のあと独立する。主筋である「紙庄」の信用と商圏も継承する、という構図です。加えて、「紙庄」さんは材木屋さんの後継者が修業するお店でもあったのです。昔人気のあったテレビのコメディ「番頭さんと丁稚どん」とイメージが重なりますね。10年以上前に催された「紙庄70周年集い」には懐かしい面々が多数集りました。それほど面倒見のよいお店だったのです。今では考えられない遠い昔の話ですが・・・。

木製フェンス(施工例)
↑ 木製フェンス(施工例)

閑話休題、滋社長に戻します。滋さんが紙庄に戻った時の社長は羽渕俊介氏。寺社建築の納材を主にされていました。木材のプロとして活躍する羽渕社長から「滋、システムキッチン、せいや!」と提案されたそうです。昭和58年頃のことです。当時は豊中の本社も良いお客さんがたくさんあり木材の販売だけで十分飯が食べれました。そこで滋さんは施工付きの商売に着手、自分で顧客を開拓し始めました。現在の紙庄の姿はそれが出発点となりました。時代が流れ、流通が変り木材の販売はどのお店でも減少の一途を辿っています。

屋上緑化(施工例)
↑ 屋上緑化(施工例)

紙庄さんの現在の商売は、木材販売はもちろんですが、材料と工事が伴う住宅設備機器の販売・設備機器の取り付けが主流です。こまめな工事が次の注文を呼び、口コミの商売、リピーター客がほとんどだそうです。尚、屋上緑化工事は堺市の助成金を受けた第1号だということなど、数多くの実績があります。
「納得する仕事をする方が量販するより良い。システムキッチンから仕事の輪が広がり施主・地域密着型の営業が主流になった。紙庄に言うてないものはどこにもないと認知されている」。以上は紙野社長の言葉です。ややこしい仕事、他で出来ない仕事が多いと言う。そのため遠く千葉、愛媛、埼玉、彦根方面まで出かけて仕事をされています。リフォームも得意分野の一つです。

紙野滋社長の趣味は映画と岩盤浴、それにジム通い。小さい時は材木屋さんになりたくなかったそうです(笑)。「手先は器用なほうで機械もんが大好き、ちょっとした修理なら自分でやってみる。高校のとき自転車を修理しながら、5日かけて輪島(石川県)まで行ったよ」と、無邪気に答えて下さいました。

紙野社長、長時間ありがとうございました。

株式会社紙庄

〒590-0962
堺市堺区寺地町東2-2-20
TEL 072-238-1581
FAX 072-221-8077

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