今月のあなたの街の材木屋さん

第43回:株式会社桐野江製材所(此花区梅香)

こんにちは!三平です。

今月の「あなたの街の材木屋さん」は大阪市此花区梅香1丁目の(株)桐野江製材所さんです。三平にとってはあまり知らない土地柄、昔から抱いていたイメージは町工場の多いところ。事前に此花区について調べてみました。

此花区の面積は大阪市24区中、2番目の広さ。区名の由来は古歌「難波津に咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花」から引用したそうです。臨海工業地帯として発展、平成13年に当区にユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープンしました。安治川河口部、大阪湾の埋立地「舞洲」「夢洲」も此花区です、だから面積も広いのですね。

桐野江社長
↑ 桐野江社長
前置きが長くなりました。桐野江製材所さんの最寄の駅は阪神電鉄西大阪線千鳥橋か西九条(JR駅もあります)ですが、少し時間がかかります。安治川に注ぐ支流「六軒堀川」の川沿いに会社はあります。取材に応じて下さったのは社長の桐野江修策さんです。

同社の創業者は現社長の父上桐野江政男さん。郷里岡山県倉敷から大阪に出て製材所で修業のあと昭和12年に当地で独立開業されました。社名に製材所という名が付いているとおり独立に際して中古の製材機を購入、製材業を営んだそうです。当時の得意先は榎本鉄工所(鋳物工場)という軍需工場、戦前では大手だったそうです。夜10時、11時ごろまで仕事をしていた記憶がある、と桐野江さん。軍需工場と製材所の関係は分りにくいのですが、その点について「工場の上屋から燃料―多分薪炭類―など木に関するあらゆるものを納入していた」と答えてくださいました。木材は住宅関連という先入観のある三平には意外でした。が、この「あなたの街の材木屋さん」を担当して、付近に町工場がたくさんある地域の材木屋さんが工場納入で生計を立てていたケースが多かったことを思い出しました。また時代とともに、中国等に生産拠点を奪われて中小の町工場が衰退、それに伴って近所の材木屋さんが減少したことも思い出しました。

会社外観
↑ 会社外観

終戦後は電力不足の時代が続いたそうですが、たまたま付近にあった病院のお陰で電力の供給が止らず、製材業は繁忙を極めたそうです。「願ってはいけない不幸な出来事だったが」と前置きしながら「材木屋が成長した原動力はなんといっても特需だった」と桐野江社長。まず戦後の復興需要、続いてジェーン台風・第2室戸台風といった自然災害。木材を早く確保したものが勝ちだった時代、それに港湾ストライキも追い風になった。材木屋には物が足らない時代のほうがありがたい、と同社長。時代は変りましたね。大阪木材仲買協組第14支部にはかつて16の仲買さんが軒を連ねていましたが、現在、木材業を営んでいるのはたったの4社、淋しい限りですね。

別棟の木造倉庫
↑ 別棟の木造倉庫

桐野江修策さんは昭和12年生まれ。関西大倉から同志社大学に進みました。関西大倉は商業の学校、父上の勧めで進学したそうですが、簿記が嫌いだった、と桐野江さん。理系希望の思いが断ち切れず、高校卒業後は家業を手伝いながら1年間理科系の受験勉強に励み、見事同志社の工学部にパスされました。昭和36年春、大学卒業後すぐに家業の材木屋に就きました。大手企業や中学・高校教師の口もあったが「親に恩返しがしたい」の思いの方が強かった、と桐野江さん。当時はまだ集団就職花盛りの時代、人材確保には苦労したそうです。
桐野江製材所は一般建築材を大工・工務店さんに販売する仲買さん(小売)ですが、製材所を併設しています。古家の復元・改修工事に使用する杉・桧は規格寸法ではない特殊なサイズが多い。新しい材料でやり直す時には同社の製材が威力を発揮する。大阪市の小学校・中学校が新築される時に使用される内装材は米栂(ベイツガ)の無節(ムジと呼ぶ)が指定材料になっている。米栂無節材の納入が同社のドル箱の一つだと桐野江社長。

川筋の製材所外観
↑ 川筋の製材所外観

かつての材木屋の仕事は、朝から晩まで木材の積み降ろし作業の連続だった。社員を早くその労苦から解放してあげたいと思い、業界では一番早くフォークリフトを導入した、と同社長。座右の銘は「実行出来てないのですが」としながら「みんな平等、良心的であれ」。商売人にはなりきれなかったが、この業界に入って良かったことはいろんな人に会えること。結構、楽しいですよ。

一般の人も大歓迎です。遠慮なくドアをノックしてください。自分のところで製材・加工するので便利な店だと思う。材料もすぐに揃えることができます。取材後に見学した六軒堀川沿いの製材工場は立派な設備です。木工用の加工機械も揃っていました。

製材の台車
↑ 製材の台車

地球環境と木材・木材産業について伺いました。

木材はオガ屑まで資源である。もっと有効利用すべきだ。みなさんに木の良さをもっと知ってもらいたい。住宅建築の主流がハウスメーカーになってしまったのが残念だ。材木屋が気楽に相談できる土壌を作るべきだった、いまからでも遅くはないが。家は決して買うものではない、建てるものだ。昔の施主には家を建てる楽しみがあった。毎日家を見に来て喜びを感じていた。今は出来上がった家を買うからそれもない。

製材所内
↑ 製材所内

趣味が車というだけあって、次のような例え話をして下さいました。
人が車を買う際には必ずカタログを見る。デザインはもちろんのこと、馬力や燃費、価格等の数字を見て判断する。が車の良し悪し、本当の快適さは乗ってみて初めて判るもの、乗り味だ。家も同じ。住んでみて初めてその良さが判る。シトロエンやプジョーにも乗ったが故障が多かった。材木屋は木のプロ、木の住まいがいかに快適であるか、その点をもっとPRしなくては。

最後になりましたが桐野江さんの趣味は前述の車とゴルフ。初めての車がブルーバード、次にコロナ2000GT、サンタナ、プジョー505、シトロエンXM・・・。今はレジェンドだそうです。オートバイも大好き、メグロにヤマハです。

桐野江社長、長時間ありがとうございました。

株式会社桐野江製材所

〒554-0013
大阪市此花区梅香1-1-14
TEL 06-6461-0231
FAX 06-6461-0709