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今月のあなたの街の材木屋さん

第41回:株式会社山内材木店(東淀川区淡路)


こんにちは!三平です。

今月の「あなたの街の材木屋さん」は大阪市東淀川区淡路4丁目の(株)山内材木店さんです。東淀川区は大正14年に誕生、その後の区制変更により淀川区が分割され現在に至っています。大阪市の最北端に位置し、淀川、神崎川、安威川の水に恵まれ大阪市では一番世帯数が多く、人口も二番目に多い区です。

全景
↑ 全景
阪急電車の淡路駅を下車して淡路商店街を進み、目的の山内材木店さんに到着、と思ったのですがそこは本社地でした。現在の営業の本拠地はそこから10分ほど歩いたところ、西淡路5丁目にありました。応対して下さったのは社長の山内一次さんです。早速インタビューにかかりました。

「デベロッパーも工務店も直接買ってくれなくなった。今まで地域の材木屋さんではなかった。これから生き残るには地域の材木屋さんになる、これしかない」。いきなりこんな話が飛び出しました。さらに続けて「家業としては生き残れるが企業としては難しい、と息子に言う。息子は大阪府庁に勤務、その家業の先も見えない」と。なんか、のっけから暗い話ですが山内社長は「あなたの街の材木屋さん」というタイトルにこだわり、事前に取材準備をされていたようです。おかげでこちらの質問があとになってしまいました。

山内社長
↑ 山内社長

まず、三平の好きな山内材木店さんのルーツから始めます。同社の創業者は一次社長のお祖父さんに当たる仁太郎氏、福井県から出てきて長柄橋のたもとで開業されました。明治の末期頃のことです。淀川の内側はその頃旧市内と呼ばれて発展していたそうですが当時の淡路は新市内、近辺は田んぼと畑ばかりだったそうです。その後長男であった父上の一二三氏が当地(現在の本社地)で独立開業されました。「親父が創業者みたいなものだ」と山内社長。その父上は明治40年生まれの満100歳。三平も数年前まで大阪木材相互市場でよくお見かけしました。今もお元気だそうです。

山内一次社長は昭和8年1月3日生まれ。府立北野中学(旧制)から同志社大学に進まれました。昭和23年に新制中学が出来たので卒業は北野高校です。同志社大学では英文学部から経済学部に転部されたそうです。元々医者になりたかったが父上から「医者みたいな因果な商売はあかん。大学も行かんでええ、商売に励め。読み書きそろばんだけでええ」と言われたそうです。「幼少のみぎりは神童と呼ばれたが二十歳すぎればただの人や」と笑いながら話して下さいました。

本社
↑ 本社

山内材木店さんは大工・工務店さんに一般建築材を販売する典型的な仲買さんです。社員さんは5人。「今は売上を伸ばしにくい環境だ」と同社長。とにかく与信が心配だ、と。「若いころ、仕事はしたがこの商売はいややった。親父は材木一筋の人間、建築の仕事も嫌った。万博までは順調でよく儲かった。仕入れたら儲かった時代が長く続いた。昭和33年ごろまで手形・小切手はなかったから大晦日に集金。だから紅白歌合戦なんか見たことがなかった」。

加工機と山内社長
↑ 加工機と山内社長

山内社長は大学時代に学んだ「立地条件」について次のように話して下さいました。「その頃(昭和30年初頭)は今みたいな車社会の到来を予想できなかったから」と前置きして「物流の拠点を求めて支店網の拡充に走った。土地の手当てをして支店をつくり、人を置いて商売の拡大を目指した。が、人材の養成が出来ずに不動産だけが残ってしまった。お陰で今はその不動産賃貸で助かっているが・・・」と。昔は一人前になるのに10年かかると言われた。今は誰でも出来る。メーカーに注文すれば即納や。材木屋の目利き等の技術、大工の技術が必要とされなくなった。それが衰退の大きな原因だ。

山内社長の信条とかモットーについて伺いました。「数量のごまかしは絶対にあかん。社員に口を酸っぱくして言っている。それに約束を守ることや。できんもんは出来ん。数も納期も。これが信用、我社の売りや」。確かに材木屋さんは数量をごまかす風土がありました。特に丸太の商売はその典型でした。

2階倉庫
↑ 2階倉庫

余談ですがここで丸太の寸検(すんけん)について触れます。 木材は業者間の取引が普通でした。販売単価は石(こく)又は立米です。昔は尺貫法ですから石、今は立米が主流になってきました。1石とは1尺×1尺×10尺です。1立米=3.6石で換算されます。次に丸太の体積(材積という)の計算方法を述べます。丸太といってもまん丸の丸太(円)は存在しません。まず末口寸法を測ります。一番太い所と一番細い所を測って平均を出し、その平均値の二乗に長さを掛けます。例えば、末口の最大が52センチ、最小が48センチなら平均は50センチです。それを二乗して丸太の長さを掛けて材積を出します。12メーターの丸太なら[50cm×50cm×12m÷10000=3立米]となります。この木が立米1万円なら3万円で取引されるのです。これは西日本で行われている平石(ひらこく)寸検です。東日本は新農林方式、南洋材はまた違った方法を用います。こんなややこしい面倒な計算をしているから材木屋は遅れてしまうのですね。

面白いのはこれからです。俗に材木屋は「空気を売る商売だ」と言われていました。その理由を説明します。12メーターの丸太はその長さではまず使えません。少なくとも4メーターとか3メーターに切ります。丸太を切れば末口は太くなります。先ほどの例でいけば、12メーターからは4メーターの木が3本とれます。仮に一番目の木の末口を50センチ、二番目の木の末口を55センチ、三番目の木の末口を60センチとしましょう。三本の木をそれぞれ寸検すると[全体では50cm×50cm×12m÷10000=3m・・・(1)。1番目は50cm×50cm×4m÷10000=1m・・・(2)、2番目は55cm×55cm×4m÷10000=1.210m・・・(3)、3番目の木は60cm×60cm×4m÷10000=1.440m・・・(4)]になります。(2)〜(4)を足すと3.65mになります。3立米の木を三本に切ると3.65立米に増えるのです。立米1万円で仕入れたとします。12メーターの木を4メーターずつ3本に切ると、仕入れ値で売ったとしても6500円儲かることになるのです。これが「空気を売る」の理由です。

倉庫
↑ 倉庫

余談が長くなりましたが本題に戻ります。一般顧客について質問しました。「大事にしているつもりだが、入りにくいのが現実。店構えが出来ていないのがその一因だ。将来は小さくとも施主とコーディネイト出来る仕事に取り組みたい。適材適所の大工さんもよく知っているし」。木材の灯は消したくない。発想の転換が必要だ。異業種との合体とかコラボとか、それぞれの専門知識が活かせる形態を追求したい。それに積層材ではなく無垢の国産材を使った家を建てたい。

山内社長は木造建築士と宅建主任者の資格を取得しており、同社の別会社(山二産業)が建築業を営み、リフォーム事業も手がけられています。冒頭の悲観的なコメントが若干変ってきましたね。

趣味は旅行。内閣総理大臣から100歳長寿表彰を受けられた父上は全世界を旅行されたそうですが、ご本人はこれから本格化するとのこと。実現すればいいですね。

山内社長、長時間ありがとうございました。目標は父上のような百歳超、健康で活躍してください。

株式会社山内材木店

〒533-0032
大阪市東淀川区淡路4-20-36
TEL 06-6323-0101
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