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今月のあなたの街の材木屋さん

第34回:株式会社川辺材木店(大阪市旭区高殿)


こんにちは!三平です。

今回は大阪市旭区高殿にやってきました。船場育ちの三平は方向感覚だけは自信があるのですが、どうも旭区とか都島区・城東区方面は若い頃から土地勘がなく苦手としていました。しかし最近は昔と違って、特に京阪沿線は地下鉄が延伸したおかげでとても便利になりました。今回の取材先(株)川辺材木店さんも地下鉄谷町線関目高殿駅から徒歩1分、とても便利なところです。

会社
↑ 会社
付近を見渡し、お店の外観を一望して中に入りました。店内のムードと懐かしい材木屋さんの匂い、昔ながらの材木屋さんだな、典型的な仲買さんだろうな、と最初は思ったのです。ところが社長の川邊博史さんにお会いして話し始めたとたん、イメージが一変しました。本当に自分は材木屋の社長と話をしているのだろうか。なかなか木材の話にたどり着かないのです。川邊さんはいろんな意味でのアーティストそのものなのです。

玄関前にて
↑ 玄関前にて

川辺材木店さんは1955年ごろまで寝屋川の川沿いで川邊博史さんの父上と伯父上が共同で木材業を営んでいたそうです。その後父上が独立、当地で木材業を開業しました。法人改組は1968年です。

川辺社長
↑ 川辺社長
現社長の川邊博史さんは昭和26年生まれ。上宮中学・高校から東海大学に進み、美術デザインを専攻されました。幼い頃から父上の背中を見て育ちました。そして木材業の将来について「このままでは夢がない、必ず材木屋はだめになる。いずれこだわりの時代がやってくる、どうしても芸術関係の大学に行きたい」と父上を説得し、上京したそうです。彼は、東京時代からカメラマン兼プロデューサーとして大活躍しました。演歌「心凍らせて」の大ヒットで有名な高山厳のフォーク時代(ばんばひろふみで有名なバンバンの一員)レコードジャケットも彼がプロデュース。漫才の、のりお・よしおのレコードジャケットも撮影しました。当時から一人旅が好きで世界中を回り、ニール・ヤング、イーグルス、ドゥビー・ブラザーズにも会い写真を撮ったそうです。写真撮影という名目で数々のフェスティバルにも顔パスで入場できました。川邊社長からその日頂いた自費出版の写真集「Brother and Sister!」には上田正樹、西岡恭蔵、キャロル、宇崎竜童、泉谷しげる、りりイなど当時の日本人の大物アーティストばかりか、ドゥビー・ブラザーズ、エリック・クラプトン、サンタナ、リタ・クーリッジ、ニール・ヤング、B・Bキングといった海外の大物アーティストが掲載されています。川邊さんと同世代で音楽愛好家の三平にとっては懐かしく感動の写真集です。ところがこの川邊さんの写真集を当時中学生だった石岡敏雄さん((株)石岡材木店社長)が購入、(株)久我が主宰する「久友会」の席で二人が邂逅したときにその事実が判明したそうです。世の中は本当に狭いですね。

あの時君は若かった
↑ あの時君は若かった
音楽と写真の話ばかりですが、もう少しご辛抱願います。「大阪に帰りたくなかった。材木屋の跡を継ぐのが嫌で仕方がなかった。でも親父との約束だから3月31日の夜中に渋々帰阪しました」と川邊さん。帰阪後は家業に就きました。それでも20歳代が一番刺激的だったそうです。一旦家業に就いたが、昼は材木屋、夜は夜中までプレイガイドジャーナルの専属カメラマンとして働き睡眠時間は2〜3時間の日々。ところが、材木屋を嫌がっていた川邊さんにあるとき転機が訪れたのです。

川辺さんが手がけた家
↑ 川辺さんが手がけた家
大阪天満の老舗料亭「大乃や」に納材した桧の一尺五寸角四方無節。玄関に聳え立つその大黒柱の神々しさに電気が走ったそうです。この大黒柱との出会いにより川邊さんは材木屋という商売に目を向けたのです、年齢は30歳を少し超えたころ。
その後、「大乃や」さんの改装時には、2階のイタリアンレストランに銘木、変木を使ったアジアンテイストのインテリアをプレゼンし採用されました。

照明にこだわりました
↑ 照明にこだわりました
若い頃に世界中を巡った話は先ほど記しましたが、個人住宅で窓に「アルミサッシ」のある家は世界中どこを探してもなかったそうです。「家は高い買い物なのに日本は変だ。先人を見習っていないのは日本人だけ。だから当時の現場は面白くなかった。材木屋は単なる運び屋にすぎない。住まい手の気持ちと自分の感性が合う人だけに絞って商売を行っている。お客様の巾は狭いがそれでも口コミで広がっている。自分の感性で繋がる客でないと仕事が面白くない。自分はいろんな意味でのコーディネーターだと自負している」―川邊さんの信念です。

倉庫内
↑ 倉庫内
栄枯盛衰の周期は25年だ、と川邊さんは続ける。材木屋は25年間良かった、工務店も25年間は好調だったがそれも終った。材木屋が悪くなるのは必定だ。川邊さんはサッカー少年だった。フランスまでワールドカップを見に行ったのです。その時フランスの田舎の凄さを彼は実感しました。ボルドーからバスで2時間ほど行った田舎町のプチレストランでの生フォアグラ、それはそれは絶品だったそうです、もちろん値段も安い。日本には田舎の凄さ、ローカルの偉大さが欠落している。地方都市の繁華街は「〜銀座」と称して東京の模倣でしかなく個性がない。日本は違う方向に向かっているようだ。

サッカーのほかにもテニス、登山、映画、音楽鑑賞と趣味は多彩。今でも年に80本の映画を観るそうです。

人との出会いが一番の財産、人との出会いに恵まれました。岡本太郎、菊竹清訓にも会い、お話を伺ったそうです。個人が売りであり、自分自身が商品です、と言い切る川邊さん。スーパー・スターにも数多く出会ったが周囲が勝手に神格化しているだけで彼らは人間的にも優れている。だからこそ「スーパー・スター」なんです、と川邊さん。最後に「やはり人しかない」。

興味深い話、長時間ありがとうございました。チャンスがあれば一献傾けたいものです。

株式会社川辺材木店

〒535-0031
大阪市旭区高殿7-7-25

TEL 06-6956-8888
FAX 06-6952-2949


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