木育についてのご紹介(2011.2.22更新)

  特定非営利法人 活木活木(いきいき)森ネットワーク主宰による、木材のよさやその利用の意義を学ぶ「木育」という教育活動があります。

  市民や児童に木材に対する親しみや木の文化への理解を深める目的で、木づかい運動の一環として、その普及・促進が進んでいます。

多くのこどもたちに木の楽しさや正しい知識を伝える「木育インストラクター」という制度もあります。

ご関心をお持ちの方は下記URLにアクセスしてください。

     http://www.mokuiku.jp/                                   (2011.2.22更新)

いつもご愛読ありがとうございます!あなたの街の材木屋さんの桔平です。
さて、私が取材を始めて10件の材木屋さんを訪問しているのですが、一口に材木屋さんといっても色々な商売の形態があることを感じます。一番多いのは、大工・工務店・建築業者へ住宅の資材として木材を供給する形態ですが、その他には銘木などの特殊な木材を扱うお店や木材の加工に特化した材木屋さんもありました。
今回の取材先は、木材加工や特殊な木材を取扱う業界でも数少ない材木屋さんといえるでしょう。場所は大阪市港区で、弁天町駅から徒歩で約10分程度のところにあります。港区といえば、かつては淀川の河口に発達した低湿地帯でしたが、江戸時代の末期から新田開発のために埋め立てられ、1903年に築港大桟橋の完成と市電の開業により大阪の海の玄関として大きく発展した地域です。

社屋外観 事務所
社屋外観 事務所

またまた、前置きが長くなりました。今回の訪問先は大阪市港区の株式会社シモヤマさんです。
まずは、会社の歴史から順にお話しを進めていきます。
応対して下さったのは、現代表者の下山豊弘さんです。

クーラーの枠材
クーラーの枠材

シモヤマさんの創業は大正5年、場所は現在と同じところだといわれています。創業者は、下山豊司さんです。元々は豊司さんが、父豊吉さんの下、福井県で材木業に携わっていたところ、大阪に出店したのが始まりです。
創業時は、堅木(国内の広葉樹、カシ・サクラ・ケヤキ)の製材が中心で、造船所や機械を扱う工場の資材としての材料を供給していき、その後、法人化されます。(株式会社下山豊司商店・代表者下山豊司さん)
会社が大きく発展する契機となったのは、建築の基礎工事に用いられるクッション材として、カシの材の需要が大きかったことにあります。当時は昭和30年~40年代で日本は高度経済成長期、折りしも大阪では、万博や御堂筋の整備が行われ、その工事にカシ材がたくさん用いられていたようです。
木材といえば、通常、戸建の木造住宅や家具に多く利用されているイメージがあるので、こういう用途もあるのかと意外に思いました。
その後の昭和46年に現会長の豊治さんが代表に就任されます。

宮崎日南工場

ところで、シモヤマさんにはこちら大阪の本社と宮崎県・日南の工場があります。平成7年頃から工場の機能を徐々に宮崎に移転していったようですが、その経緯についてお伺いすると、当時、大阪で製材や塗装といった木材の加工をメインにやっていたそうですが、音や騒音、ニオイといったことに対する周辺住民への配慮もあり、他に加工できる場所を探していたようです。時を同じくして、四国、九州へ丸太を仕入れにいった際、地元の材木屋さんと縁ができて、元々は宮崎の製材工場であったところを購入され、現在の主な加工場所となっているようです。現在でも大阪で加工も行いますが、むしろ、宮崎で造ったものを関東、名古屋、北陸へ輸送するための中継基地としての機能が主となっているそうです。
平成12年に現在の社名の株式会社シモヤマに社名変更されます。
この頃から、業態が転換していき、運送業に用いられる木材や空調機器、また事務所、工場、店舗などで用いられる床置きのクーラーの枠に用いられる木材が取扱商品の主流となります。
また、平成15年頃からは何と材木屋さんでも珍しい、介護用品の製造・販売業を始められました。具体的には、玄関の踏み台、スロープ、手すり等です。

下山豊弘社長
下山豊弘社長

ここで社長さんの紹介です。現社長の下山豊弘さんは、昭和43年に港区で生まれました。地元の港高校を経て、桃山学院大学を卒業後、平成2年に家業に入られました。代表就任は平成22年6月と、ごく最近のことです。趣味は、ゴルフ、野球、水泳といったスポーツマンである一方で、読書家の一面もあるようです。座右の銘は「智仁勇」、これは武道の精神に由来する言葉で、何が正しいかを識る意の「智」、相手を理解する、相手の立場になってものが考えられる慈愛の心を「仁」、そして勇気をふるって打ち込む「勇」、という意味が込められています。

介護用品の一例
介護用品の一例

前述のとおり、現在のシモヤマさんの主力商品は介護用品となっていますが、下山社長は「最近は、関東、とくに東京から取引きが増えている。注文の単位は大阪の数倍ですね。展示会を通じて、今後もマーケットを東へ広げていきたい。」と今後の方向性について語って下さいました。また、普段心がけていることについては、品質の安定、常に同じレベルの商品をお客さんに提供することです。「安定した品質の商品を提供すれば、お客さんからクレームも出てこないだろうし、いい商品を提供すればわざわざ営業をかけなくても、信頼されて注文が来る。つまり、商品が営業してくれるということです。」と品質の安定化にこだわる下山社長。「担当者が変わることで、商品のレベルが下がることはお客さんには通用しない。それはあくまで社内での話だ。」と経営者として厳しい一面を見せつつも、「従業員が自由に意見を出し、アイデアをとりいれ、仕事を任せられるような環境にしたい。そうすれば、仕事を楽しく感じてくれるはず。」と周囲への配慮も欠かしません。
社内の雰囲気も風通しがよいようですね。

下山社長、長時間有難うございました。

株式会社シモヤマ〒552-0002
大阪市港区市岡元町1-2-13
TEL 06-6581-4861
FAX 06-6581-4040   →会社の詳しい情報はこちら  HPはこちら

こんにちは、あなたの街の材木屋さん、担当の桔平です。
さて、今回の取材先は、組合事務所から徒歩で10分とかからない、ご近所の材木屋さんです。現在では南堀江や幸町という地域は、まだまだ多くの材木屋さんがお店を構えてはいるものの、多くの高層のビルが林立し、ブティックやレストランなどお洒落な店舗が目立ち、材木屋さんで賑わっていた過去の様子も徐々に薄れつつあるように感じられてきました。
この地域の中心である道頓堀川は今も満々と水をたたえていますが、かつてのように筏が活発に往来し、浮かんでいる材木を引き上げることもなく、川面には高層ビルの影ばかりが映っているという状況です。
このように、木材業界のメッカともいえたこの南堀江は、その多くが高層住宅群と様変わりし、木材の香り漂う伝統の根を下ろしたこの街にも、確実に新しい風は吹いているといわざるを得ません。
このような周囲の大きな変化の中で、昔と変わらず逞しく材木業に携わる、歴史ある材木屋さんが今回の訪問先です。どんなお話しになるのでしょうか?

社屋外観 事務所
社屋外観 事務所

 

今回の訪問先は大阪市西区の汐見木材さんです。
こちらの会社の創業は伊勢お陰参りが流行したり、老中水野忠邦が政治改革を行った、天保年間(1830~44年頃)だそうで、歴史の永さではこれほどの会社は過去の取材先でも記憶にありません。まずは会社の歩みからお聞きすることとします。インタビューに応じて下さったのは現代表者の森下能成(よしまさ)社長です

フローリング在庫
フローリング製品

汐見木材さんの歴史は長く、「大阪木材業外史」(大阪木材業組合、㈱林業新聞社 共編)という江戸時代からの大阪における木材業の歴史を語る書物の中にも創業者である森下兵助氏の名前が「新興市場問屋」として知られている、と記述されており、戦前より汐見木材の商号で大阪道頓堀川の汐見橋の畔で製材業ならびに市売問屋を営んでおられたそうです。
その後、昭和22年に製材業・市売業を統合し、汐見木材株式会社を設立、法人へと改組されました。当時は仲買業者に対して、製材・市売・付売・加工業者としての販売が主な業態で、その頃より新たに、内地材ヒノキの縁甲材(フローリング)と日本で初めてアピトンフローリング(注1)・ラワンピーリング(注2)の製造卸を始めるなど、日本の材木屋さんでも先駆けの存在ではなかったかと察します。
(注1) アピトン…熱帯広葉樹。土足で歩く事務所やトラックの荷台に使われる。高い耐久性で、湿気に強く腐りにくい樹種。
(注2) ピーリング(材)…素材をピーリングマシーンで皮を剥いた材料。
昭和50年には、会社の市売問屋部門が分社、独立し、製材、フローリング製造部門・製品販売を主に会社が再スタートしていくこととなります。
その間、代表者は、森下金次郎氏から河野正富氏へ継承され、昭和62年には現代表の実母の森下栄子氏が社長に就任することとなります。
その後、平成19年1月に現代表者の森下能成氏が社長に就任することとなります。
それでは、ここからは社長さん個人についてのお話しをお伺いしましょう。

森下社長
森下能成社長

森下能成さんは昭和41年に大阪市福島区に生まれた後、西宮市で育ちました。大阪学院高校から同大学商学部に進まれ、卒業と同時に大阪にある大手建材問屋に入社、平成4年から家業である汐見木材さんに戻られました。
趣味は高校、大学時代にされていたテニスとスキーというスポーツマンです。
ただし、「最近は忙しくてほとんどできていませんが…」と口元をほころばせます。一方、仕事で忙しくされている中でも、2男1女のお父さんとして、子育てに奮闘されている子煩悩な一面もある方なのです。
また、平成4年から入会されている、大阪木材業界の若手経営者の会「大阪木材青年経営者協議会」では、木材業界発展のため様々な活動に参画され、平成22年度会長としてリーダーシップを発揮されるなど、業界の若手経営者の中でも群を抜く活躍をされています。
名刺には、汐見木材さんの経営理念  思・緒・美 ― そして創。と記されています。その意味は、「美しい思いを伝える、そして新しいものを創る。」とのことだそうです。思・緒・美と汐見を掛けた、素敵な言葉ですね。森下社長の会話の中の色々な話から、常に木のこと、自社のこと・商売のことを思い続けていることを感じます。

美しい光沢の無垢ヒノキフローリング

現在、汐見木材さんの主力商品は、国産の桧・杉・赤松の無垢フローリング、無垢羽目板などです。「一般消費者のムクへの関心度は高いが、できるだけお金をかけたくないという理由で離れつつある。中には高級志向の方も一部で見受けられるが、需要層は限られている。健康というキーワードからより多くの消費者に注目していただくために、ムクの良さを訴えかけていきたい。」と森下社長。

人に優しい「暖テック床暖」

汐見木材さんは、戦後間もない頃より、縁甲板といわれるフローリングを製造し始めた、製造販売会社として、自社製品はもとより仕入商品であっても「品質の安定と供給の安定」を第一に考えておられます。それを念頭に消費者に対して、無垢素材である床壁材を60年近く作り続けてきた経験を生かし、信頼のおける製品を自信を持って販売する真面目な材木屋さんです。
もちろん、木材の専門家という立場から、木材の利活用の仕方をはじめとする様々なご要望にお応えしてもらえますので、どうぞお気軽にご相談下さい。

森下社長、長時間ありがとうございました。

汐見木材株式会社〒550-0015
大阪市西区南堀江3-16-14
TEL  06-6531-3683
FAX 06-6531-3519    会社の詳しい情報はこちら HPはこちら

いつもご愛読有り難うございます!あなたの街の材木屋さん、担当の桔平です。
今回は大阪府南河内の羽曳野市にやってきました。大阪市内から電車で抜けていくと徐々にビルの姿もまばらになり、近鉄古市駅に近くなると辺りは畑や民家が広がるどこかのんびりした風景です。
羽曳野市の地図を見ていると特に目立つのは「古墳」の数の多さです。羽曳野市近辺に人が住み始めたのは、今から約2万年前の旧石器時代末頃といわれ、弥生時代には農業を基本とした集落が数多く形成され、古墳時代には全国でも最大の古墳群である「古市古墳群」が造営されるなど、大いに発展しました。
そんな歴史のロマンが現在でも色濃く残る、羽曳野市にある材木屋さんが今回の訪問先です。どんなお話しになるのでしょうか?

≪写真1 社屋外観≫
≪社屋外観≫
今回の訪問先は羽曳野市西浦の有限会社田中製材所さんです。創業から110年を超えるとても歴史のある材木屋さんなんです。まずは会社の歩みからお聞きすることとします。インタビューに応じて下さったのは現代表者の田中勝社長です。

田中製材所さんの創業は古く、1897年、何と明治30年に遡ります。創業者は現代表の勝社長の祖父にあたる田中奈良吉さんです。当時は社名の通り、元々は山から原木を伐り出し、その丸太の製材、加工を生業としておられました。会社は大阪狭山から富田林と南河内地方を移転、昭和の初め、羽曳野市古市の現在の所在地から数百メートル離れたところで営業することとなりました。
その後、二代目の田中由太郎さんが社長に就任(昭和12年)、その頃は製材から大工や建築業者に木材を販売する仲買さんの商いが主流となっていきました。その後、会社は個人商店から現社名の有限会社田中製材所と法人に組織変更しました。その当時、材木は本当によく売れていたそうです。
昭和40年代は木材業界が全盛、材木屋さんの営業スタイルはいわゆる「だんな商売」といわれる待ちの営業がほとんど。「倉庫にあるものは、本当に何から何までよく売れていた」と勝社長。お客さんが材木屋さんに木材を求めて買いに走る、当時はその旺盛な木材需要に供給が追いつかないような時代だったのではと想像してしまいます。
≪写真2 材料を配達する田中社長≫ 
≪材料を配達する田中社長≫

≪写真3 倉庫内に積まれた材料≫
≪倉庫内に積まれた材料≫

また、田中製材所さんは、当時から羽曳野市の学校や大阪府の高校に納材することも多く、官公庁関係とも繋がりがあり、そのこともあってか仕事量も比較的安定していたようです。
ところが、昭和50年代中頃から、販売環境が徐々に悪化。建材業者の積極営業の影響もあってか、自社と競合する機会も増え、売上が減少したそうです。また、プレカット業者も台頭し始め、高級な木材が売れにくくなり、利益率が低下していくようになりました。「工務店が店に来て、材木を買って持って帰っていった頃と違い、今では配達して高い場所まで運ばなければ買ってくれなくなってきている。工務店と材木屋さんの立場が逆転している」とその状況の変化について語る、勝社長。
企業の在り方も、その時代に即して変化して、常に新しいサービスを創造していかなければならないということでしょうか。
ここから先のお話しは、現社長のご子息であり、同社のホームページ開発担当者でもある、田中由虎さんにお伺いします。

田中由虎さんは昭和49年生まれ、父でもある現社長の病気もあり、大学卒業後同社に就職しました。趣味は草野球、また、地元のイベント等で南河内が生んだヒーロー「コーダイガー」の一人として、ショーに出演されることもあるそうです。
由虎さんが特にこだわっていることは「木をいかに良く見せるか」ということです。安価な材料でも、そこに何らかの付加価値を与えられれば良い材料と感じてもらえるはず。

そこで着目したのが、木材に塗る塗料です。
田中製材所さんでは、日本オスモ㈱の大阪販売店としてオスモカラー(OSMO/COLOR)の販売を始めました。
オスモカラーはひまわり、大豆、アザミといった自然の植物油を主成分とした無公害の環境に配慮した木材用塗料です。表面にプラスチックのような塗膜を形成するのではなく、木の繊維と一体化し、木材の調湿性を妨げず、美しい木肌の温もりを生かすことができます。
こうした木材に付与する新しいサービスの提供とともに、「自社独自の専門性、こだわりを出して、お客さんが自然に寄ってくるような魅力的な材木屋さんにしたい」と今後の抱負について語る、由虎さん。
勝社長も「お客さんに当社へ来たら全て間に合わせてくれる。頼まれれば何とかしてくれる、信頼される仕事をすることを心掛けて商売したい」とそれぞれ年代の違いから発想は違いますが、木材業に対する考え方を伺うことができました。
≪写真4 豊富なオスモカラーの在庫≫
≪豊富なオスモカラーの在庫≫

 ≪写真5 フローリング商品の一例≫
≪フローリング商品の一例≫
最後にお店のご紹介です。
建築用資材はもちろん、土木用材、新建材、住宅機器等幅広いニーズに対応いたします。
もちろん、一般のお客さんも歓迎いたします。オスモカラー、無垢フローリング、デッキ材、古材等の販売まで、木に詳しい材木屋さんの強みを生かして皆様の日曜大工のお手伝いをいたします。どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。

社長さま、由虎さん、長時間の取材にご協力いただき誠に有り難うございました。

有限会社田中製材所〒583-0861
大阪府羽曳野市西浦 3-2-25
TEL 072-957-0707
FAX 072-957-0708会社の詳しい情報はこちら →HPはこちら