解体工事報告①(2012.5.22更新)

解体工事が始まって約2週間が経ちました。

今はまだ建物の外観に大きな変化はありませんが、内装や外構が少しづつ解体され、更地へ向け着々と工事が進んでいました。

左は、一階事務所と勝手口をつなぐ通路の様子です。

右は、仲買会館正面玄関の様子です。写真は入口から門へ向かって撮影したもので、植栽が全て無くなり更地へと姿を変えていました。

こには正面玄関へと続く新たなアプローチと、建物の1階に木材の展示スペースが設けられる予定です。

私たち職員も沢山の思い出がある会館が解体されていくのは、感概深いです(。-_-。)/

こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。

今回は、大阪府西部、すぐお隣が兵庫県尼崎市の西淀川区にやってきました。
 組合所在地の大阪市西区から国道43号線を10分ほど走り、側道を抜けて「中島」という交差点を左に曲がると、徐々に住宅は見られなくなり、西淀川区の中島工業団地に入ってきました。
 周囲を見渡すと、倉庫や工場、物流センターが建ち並び、また道路を走っている車も大型のトラックが多く、いかにも工場地帯といった雰囲気です。この中島工業団地は42万坪もの規模であるようで、阪神高速5号湾岸線中島出入口や国道43号線、名神高速豊中インターにも近いということで各企業の物流拠点として絶好の立地条件です。
 工業団地内を奥へ奥へと進むに従って、リサイクル業者と鉄工所が見えてきました。地図ではこの付近のはず?と半信半疑でしたが、ほどなく取材先である杉田木材㈱さんの看板を確認してひと安心しました。

 それでは、早速、今回の取材先の杉田木材㈱さんについて、まず会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。お話をお伺いしたのは、専務取締役の杉田知視さんです。

              社屋外観             事務所内の様子

 

 杉田木材さんの始まりは何と1872年(明治5年)ということですから驚きです。この頃の日本は、国内で最初の学校制度が定められ、また同年には、日本初の鉄道路線である新橋駅―横浜駅間が正式開業を迎えたということですから、私からはちょっと想像しにくいほどの古い話です。この年、初代の杉田兵助氏によって西淀川区佃で納材問屋を開業(薪・小丸太の販売業)したのが業歴としてのスタートとなります。明治35年には、杉田市太郎氏が杉田材木店という名称で個人商店を創業され、丸太を製材・加工し、工場に納める材料を、また梱包材として取引先に納める商いをされていました。
 昭和8年には、杉田兵作氏(杉田専務の祖父)が事業継承しましたが、程なくして昭和17年、戦時中の木材統制令により一旦事業の閉鎖を余儀なくされます。昭和21年統制令の撤廃により、西淀川区佃で営業再開し、昭和23年には現社名の杉田木材㈱へ法人に改組(代表者:杉田兵作氏)されます。この頃は、電鉄会社の枕木、梱包材、また西淀川区を中心とした工場営繕用の木材の納材を主たる事業として社業が発展していった時代でした。
 その後、昭和34年には杉田兵作社長の逝去により実弟の杉田義雄氏が社長に就任され、続いて、昭和40年には、現社長の杉田幸視氏が社長に就任しました。昭和40年頃は東京オリンピックが開催されるに伴って、国内の交通網の整備や競技施設が必要となり、新幹線や道路などのインフラや競技場、武道館といった競技施設が整備され国内の建築需要が高まりました。それを機に杉田木材さんも土木・建築業への納材を開始し、大手ゼネコンなどを得意先に持ち、事業は安定していました。

      マンション用の造作材

このマンション関係の造作材は、現在でも同社の売上の大部分を占め、ほぼLVL間柱や合板、ボードの販売に特化しており、また、ホームセンターなどで取り扱っていない独自の商品を扱っていることが強みであるようです。

 
 
 
 
 
 

 

          杉田知視専務

 

 ここで、杉田専務個人についてのお話をお伺いします。

 杉田木材 専務の杉田知視さんは、昭和36年兵庫県尼崎市生まれです。西宮市内の小中学校を経て、大阪市内の高校を卒業後、一旦東京の木材問屋にて勤務されます。7年間の修行の後、家業の杉田木材さんに戻られました。
 平成15年に専務に就任されてからは、社業のほぼ全般を担当されています。
「仕事が趣味」という杉田専務は、「暖簾(のれん)に驕れる事なく本業に徹し、本業を極めよ」という言葉をモットーに日々、木材流通業に精励されています。永い歴史を持つ杉田木材さんを将来に亘り経営していくにあたり、社会形態も変化し、国内の木材業界の市場規模が縮小している状況にあって、「従来の木材業のやり方に胡座(あぐら)をかいて商売を行うのではなく、現在のやり方を見直して状況に応じていかに商売を変えていくかという創意工夫が必要である」という考え方で経営にあたっておられます。

          倉庫内の様子

また、一方、木材業界も効率化と合理化等を進めるビジネスへとここ数年変化している中で、「商売の原点に戻り、人と人、心と心で会話する商いの基本を今一度見つめ直すべき」と述べられました。営業方法やサービス、付加価値は新しいものを追求しつつも、経営者としての心構えは昔ながらの木を生業とする商売人として、お客さまへの誠実な対応と地道な努力が大切だということですね。杉田専務、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。(2012.5.18更新)

杉田木材株式会社
〒555-0041
大阪市西淀川区中島2-12-94
TEL 06-6471-0155
FAX 06-6472-2325
  

5月14日に解体工事中の様子を見に、仲買会館へ行ってきました。

左の写真は2階大会議室の様子。いよいよ新会館へ向けての工事がスタートしました!

右の写真は、会館の外観を東南から撮影した写真です。仮囲いを組立ている途中です。

これからは、1、2週間に一度のペースで会館の工事状況を 「始動!!新会館」 で報告させて頂きますのでお楽しみに!(^^)!

5月12日より、いよいよ仲買会館の解体工事がスタートいたしました。

工事を始めるにあたり、作業中の安全を祈念して、前日の11日に安全祈願祭が行われました。

祈願祭には、工事関係者、建替実行委員等約30人が出席、清祓などの神事を行い工事の安全を祈りました。

6月末へ向けて一旦更地になり、7月から徐々に新会館の施設が形になっていきます。待ち遠しいですねd(・∀・*)♪

今後の進捗状況も随時UPしていきます☆

4月14日、八尾市立曙川東小学校で出前授業を開催しました。
詳しい内容につきましては「組合活動実績」のコーナーでお知らせ
してますので、ご確認下さい。
 なお、7月19日に大阪市住吉区内の小学校で出前授業を開催する
予定がございます。今後、この「トピックス」で情報を随時掲載いたします
のでご期待願います。            (2012.5.7更新)

4月14日、八尾市立曙川東小学校にて出前授業を開催しました。
 第27支部/㈲古形木材・古形社長が曙川東地域福祉協議会と繋がりがあることから、今回は学校の授業といった形式ではなく、同福祉協議会主催の「わくわく推進活動」の一環として開催することになりました。
 当日は、古形社長と、当組合からは出前授業を所管する、開発研究委員会から宇田副理事長及び杢保委員長、森下理事、兼田理事の4名が指導役となり、また、福祉協議会のスタッフの方々にもお世話になり、事務局職員とともに、児童とその保護者の皆さんに地域の材木屋さんの団体である当組合について、そして木材利用の有効性についてPRいたしました。
 参加者は、二年生から六年生までの30名の児童と保護者15名の計45名でした。
 福祉協議会の山下会長から開会の挨拶をいただき、当組合からは、宇田副理事長の挨拶の後、事務局・倉橋の司会により、授業は始まりました。
 当日の授業内容について概要説明を行った後、DVD「木づかいで地球を救え!」を鑑賞しました。続いて、休憩を挟んで、1チーム8〜9人の5チーム対抗での「樹種当てクイズ」を実施いたしました。

出前授業①
保護者の方も真剣!樹種あてクイズ

 
 チームは児童3チームと保護者2チームでの構成となり、5種類の樹種に触れたり、匂いをかいで、相談しながら解答しました。児童は色々な樹種に興味津々で、保護者の皆さんも笑顔も見られる中、真剣に取り組まれていました。
 全チームの解答完了を確認した後、倉橋から、正解発表と樹種の特徴を解説しました。答えを確認しながら、児童とともに保護者の皆さんからも歓声が聞こえてきました。
 
 
再び、休憩を挟んで、いよいよ「親子木工教室」椅子作りをスタートしました。

出前授業②
 親子木工教室・椅子作りの様子

 児童と保護者の方が一緒になって、スタッフが作り方と釘の打ち方などを説明した後、親子で相談する声と金槌を打つ音があちこちで聞こえてきました。慣れた手つきで、次々と作業を進める児童、失敗してやり直したり悪戦苦闘する児童と様々でしたが、予定の時間にはほぼ全員の作品が完成しました。
 曙川東小学校 和田校長から閉会の挨拶の後、今回の出前授業の開催にあたり、曙川東地域福祉協議会に対して働きかけて下さった古形社長から、「杉や桧の木による花粉症は、日本の山を手入れする人がいなくなったことが原因なので、住宅を建てる際は、杉や桧といった国産材を積極的に利用いただいて、日本の山や自然環境を守ってもらいたい」との主旨の締め括りの挨拶がありました。
 今回も色々な授業を実施しましたが、地球の環境を守るために適切に木を伐採して、森に手入れを施すことが大切であること、そして、木は人の健康という観点から建築材料として、鉄やコンクリートよりも優れた素材であるということをPRできたかと思います。        (総務課 倉橋記)